誰がために管理する
こちらの記事を分割し掘り下げました。
先日、家事手帳はどうだろう…という話を書きました。もちろん、ふり返りで見えてきた点もあるので、その有効性は否定しません。
でもまた、自分を戒め縛ることになるなぁと思って。
私の本分は家族の援護、なので動態を管理します。家事はそれに付随するものでしかありません。
たとえ負担が大きくても、家事は作業、タスクでしかないと思いたい。家事への思いについて、加筆しました。
管理の管理による管理のための管理
ふと思い出したのは父の言葉。
日本人はあらゆる管理が諸外国より徹底している。でも外国企業との取引に箔をつけるためISOが必要で、取得したら書類と手間が増え、むしろ管理が激増した。
いまは「管理のための管理」をしている、と。
家事手帳には、それに近いものを感じます。
日本女性の家事負担は世界一。
そのうえ家事手帳を導入したら、日本人気質も手伝って「管理のための管理」になっちゃいそう。別に箔が付くわけでもなし、家事が減ったり記帳が楽しいなら良いけれど…
特に、(管理手帳をつけなければいけないと自分を戒めるような)真面目な方ほど、日本特有の「愛情=手間=家事」に縛られてしまうのではないでしょうか。
自分に完璧を求め厳しく管理したり、あげく家族への過干渉や自己満足に陥ったりと、逆効果になる気がするのです。
それは何のための管理なの?
誰のための管理なの?
誰がために管理する
ヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る」にもある、ジョン・ダンの詩。
なんぴとも
一島嶼 にてはあらず
なんぴともみずからにして全きはなし
人はみな大陸 の一塊 本土のひとひら
人は孤島たりえず、陸の一部。いわんや家族をや。
そして私も土のひとひら。太陽ではないのです。
私は家族の援護のために動態を管理しますが、太陽たる家事統制や過干渉はしたくないし、もうできない。
家族みな
家事は援護のための作業でしかない、と思いたい。太陽神と化し、家事を生き甲斐にし、タスクを本分にはしたくないと思うのです。
家事の手順を忘れても大変じゃないけど、家族の行事を忘れたら大変なのだから。
…先日、離任式を忘れたけど(反省)
私は土くれ。孤島でも太陽でもないのだから
むかし、私は嫁業に看護に介護に育児に頑張って、電球が切れるように使い物にならなくなりました。
私は太陽ではなく、裸電球でした。
頑張っても無駄な努力がある。ムダに頑張り尽くした後でそれを自覚したら、逆に私は自分や家族に過剰な期待をしていたと思い至りました。
そして自分への「期待」を処分して、私は楽になりました。
自己満足や世間体のかたまりである「脳内のモブ共」にも気づけました。
夫の一言で「脳内のモブ共」を断捨離できて、家族がより愛しくなりました。
母として、妻として、嫁として。
そして日本女性たる「愛情=手間」の呪縛。
さらに母親は太陽たれとか、妻は海とか山の神とか。
たくさんの正論が重かった。
でも、宇宙兄弟の「俺の敵は、だいたい俺です」のセリフの様に、私の敵もだいたい私でした。世間の正論に囚われ、家事の愛情論に縛られ、思考を変えられずムダな努力をした15年でした。
今は、あの詩に救われています。
なんぴとも
一島嶼 にてはあらず
なんぴともみずからにして全きはなし
人はみな大陸 の一塊 本土のひとひら
孤島も太陽も孤独です。
でも、私は土くれ。孤島でも太陽でもない。
つかず離れず、同じ家族とともにありたい。
周りにはたくさんの土ぼこり、太陽の匂い。
私も、太陽に照らされ、暖めてもらえると知ることができたから。