KAJILESS

家事をレスに。

靴に満足したら、靴の呪いから解放されました【淘汰84】

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上履き2足を含め、6足で満足してます。
「満足」って大切ですね。
そのためには何が必要なのでしょうか。

 

 

靴ってなんだかフェティッシュだわ

靴って不思議です。
「人柄が出る」「性格が9割わかる」的な?
哲学ぽいアレが不思議。

そして男性も対象だから驚きです。
「ホテルマンは靴を見る」「靴を磨く男は一流」とまぁ、成功哲学にまで発展しているのだから。

汚い靴は男女限らずダメだけど…
服や髪とは違う心理、スピリチャルな何かが靴にはあります。

フェティッシュ(フェチ)って拝物性愛の意味が強いけど、その語源が[呪物]や[狂信]から来ているのも納得。

靴ってなんだか呪物だわ…

 

人が靴で判断するのは「生理的嫌悪感」

かといって、清潔ならOK…でもない様子。

イメルダ夫人は極論だけど、一般人も靴を多く持つと「浪費家」「高飛車」と見られがち。
それらの靴が美しく保管されているなら、なおさらに。

ボロや不潔じゃダメ、安物でも高飛車でもダメ、高いヒールも細いヒールもダメ、キレイでも多すぎればダメ…
何か結局、人が靴で判断するのって

 

「生理的嫌悪感」じゃない?

御託を取っ払うと。

 

汚いと「臭い」「だらしない」。
キレイにすると「見栄っ張り」。
ヒールが高いと「ヒステリー」。

 

そんな個人的な生理的嫌悪感を、集めに集めて踏み固めた結果、性格を表すという[呪]が仕上がったように感じます。

 

満足したら呪いから解放された

人はいくつも顔を持つ。
会社と友人と家族、恋人と伴侶…見せる顔は相手や状況で違うのに、靴で性格の9割が判るもんかね?
本性を垣間見ることはあろうけど。

 

…とか言いつつ、私も昔は信じてました。

高校生でスエードの通学靴を選んだり?
独身時は流行りの靴ばかりを選んだり?
既婚だからとヒールは太めを選んだり?

服飾品を「気に入って」買えなかった。TPOも必要だけど、それにしたって世間の呪いで選んだ服や靴。好きじゃないからメンテもおざなり。

 

好きか必要かで選んでいいのに。 

 

物を淘汰してそれに気づけたら、靴の呪いからも解放されました。

 

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黒パンプスと上履きで事足りる

私が今、一番長く履くのは職場の上履き(ナースサンダル)。
あとは中敷きが黒いパンプスが1足あれば、仕事も慶弔も事足ります。


 

小さなキズは黒ネイルで補修し、磨きます。
ヘタレたら買替えます。

靴って「長持ちさせるべき」って呪縛がありませんか?「使い込まれた艶」「2足を交互に履け」的な。

多分これって高価な靴を履く場合で、そんなセレブはメンテを外注すると思うのよ。多少は自力で磨くとしても。

 

私はほぼ毎日ヒールを履くけど、たかだか十数分。でも、まれに弔事でお寺やお墓に行けば、砂利道や石畳でスグ痛む。
そんな用途の靴なので、長持ちさせるのを諦めました。

数年に一度の慶事も買替のタイミング。
そんな時はコサージュで飾って楽しみます。

 
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オフも4足で事足りる

そしてオフの靴はこちら。
・運動靴2足(外履き・上履き)
・惚れ込んだコンバースのハイカット
・コートに合わせたショートブーツ

震災の地盤沈下ですぐ冠水し、長靴はむしろ危険なので履きません。雨や豪雪には運動靴。コインランドリーで洗えて便利。

昨年の猛暑もコンバースとパンプスで過ごしました。昔はミュールも買ったけど、踵がなくて不安定だし、足の甲が擦れて痛むしで、もう十分かも?

来夏も買い足さずに過ごすかもしれません。

 

靴ってやっぱり魔性だわ

欲しいもの、必要なものを選ぶ。
体調や用途、メンテを考慮する。
呪に惑わされない。

シンプルだけど、これが満足の理由じゃないのかな。

 

…とか言いつつ、憧れの靴ができました。

顔ヨガで有名ですが、ダンサーでアジア優勝者でもある間々田佳子さん。彼女の著書でアルゼンチンタンゴシューズが紹介されまして。

 

 

こんなの( *´艸`)

素人は足や体を傷めてしまう。でも体幹を鍛えたならば、どんなに激しく踊っても揺るがない。
強靭で華奢で、美しい靴。

 

今、これが履ける日を夢見て筋トレ中です。
えぇ、体調も用途もメンテもトシも考慮できません。

 

は~、靴ってやっぱ魔性だわ…

 

 
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服は外、福は内。クローゼットが空けると福がくるかもしれません【淘汰83】

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スッカリ明けましておめでとうございました。今年も出遅れたkrolessです。
今回は節分ということで、服を捨てたら福が来たお話。

 

そもそも、なぜ服を持て余すのか

マスコミや流行やファストファッション業界のせいだとか、恋人の好みとか同僚やママ友との空気感とか…外部に原因をゆだねるのは簡単です。でも、だからこそ服が際限なく増えるわけで。

やはり服にかぎらず物を減らすには、自らの内面を見つめるしかなさそうです。

自分自身を振り返ると、原因はこの3つかな。

 

自分が無い

社会に出て若いどころか幼く、初めての恋人(夫)は年上。
若さって貴重だと思うけど、当時は全く自信が無く、卑下というか自己嫌悪の塊でした。

自信もなければ自分も無い。

何が似合うかも、流行の良し悪しもわからない。雑誌を読んだり、友人や店員に聞けばいいのに、「興味が持てない」「お金も掛けたくない」という妙な信念もあった様な。

で、結局自信のないまま、彼の好むであろう格好をしたり?突発的にブランドや流行りの服を買ってみたり?

ずっと迷走していました。

 

服が好きじゃない

服ってメンテナンスが必要なのね。

ナニ言ってんだコイツ状態だけど、当時はメンテという概念がすっぽ抜けていたのです。あんな経緯で買った服なんて、別に興味もありません。制服も反発せずに着ていたし、私服ですら他人や世間が望むであろう服…

フツーに洗濯しては片付けるけど、大切にするという思いが全くなかったのです。

というか…

服を「気に入る」という感情すら知りませんでした。

 

把握してない

だもんで、よくわからん衣服ばかり。

一般的な女子に比べれば少ない量でも、興味も愛着も無けりゃメンテもおざなり、当然把握できるわけがありません。

で、ありがちな「何を着れば良いかわからない」から「着る服がない」もんで「とりあえず買っとけ」ループへ。

そのうえ結婚・妊娠したらますます

着る服がない\(^o^)/

 

こんまりしたら何も無くなった

産前産後は何を着ていたか、おぼろげです。
看護介護もあって忙しく、この状況にブチ切れ断捨離もしまくるくせに、フリマで値下げ品を買ったり?義母がくれた服を着てみたり?

えんえんと迷走中…

そんな折、近藤麻理恵さん著「人生がときめく人生の魔法」を読み、修行だの感謝とは違う「ときめき」ワードに惹かれ、手持ちの服を見直しました。


そしたら。

 

ときめく服が何ひとつ無い\(^o^)/

 

衣服に全く無頓着だったわけではありません。一応は悩んで迷走し、お金も多少かけたハズ?
なのに、この大量の布は一体何なんだ…

 

 

気づきが自分を変える 断捨離はその手段の1つ

これは静かながら大きな衝撃でした。

たとえば『親が正しいと思ってたけど、社会に出たら違ってた』とか『元カレの過保護って、実は束縛DV?』みたいな。

渦中にあると見えないけれど、離れてはじめて気づく、あの感じ。
客観的に、はたと気づいたんですよね。

(仕方なく買うからこのザマだ)って。

ずっとなんで?なんで?と思っていたのに…

 

若さゆえの迷走も、世間が気になるのも、忙しいのも仕方ない。でも自分を見つめ直すのも本当に難しい。

ファッションに疑問を感じたとき、普通はメディアから気づきを得るのだろうけど、衣服に興味がない私には無理でした。
私みたいな人や、自分自身を変えたいと思う人には、断捨離が有効かもね。 

 

というわけで、自分のアホさ加減がイヤになり、毛玉やほつれた ゴミを捨て、徐々に嫌な服、体に合わない服を手放し…クローゼットはほぼ空に。

すると、納得できる服が手に入るようになったのです。

 

そして15着のお気に入りワードローブに

今現在、秋冬の服は15着。

黒・白・ベージュのブレザーやスーツで、一週間を着回します。
ラフだけど格好つけたいときはジーンズに黒ブレザー。フェミニンな場では黒のロングスカート。インナーは痛みやすいので、劣化したら買替えます。

そして実は、7着が母のお下がり、3着が300円の中古品です。

 

昔の私は服をもらっても、義務感で着ていました。
でも、いま手元にある母の服は、生地も縫製も良い品で、お気に入りです。母のものだと公言できるし、褒められますね(お世辞だろうけど)。

昔の私は堅実なつもりで、中古を買っては安物買いの銭失いをしてました。
でも、いま手元にあるコートとスーツ、黒ブレザーはどれも重宝しています。なによりお気に入りなんですよ。

 

そう、お気に入りの服!
私にこんな日が来るとは…

 

社会人としてのTPOは必要ですが、結局は自分が気に入ってるというのが大切なのでしょうね。

衣服って着物や絵画と同じで、良い悪いや高い安い、古いの新しいので決まるものではないのかも。まぁ、著名人の作品やハイブランドは世間的に「良い」のだろうけど。

 

 

値段も謂れも外野も関係ない

私は本や映画が好きですが、今思えばその中にもたくさんの気づきがありました。

フランス紹介の書籍など「パリジェンヌは蚤の市で2ユーロで買った服を堂々と着る」なんて記事をよく見ます。颯爽としていますよね。

「風と共に去りぬ」のスカーレットや「サウンドオブミュージック」のマリアも、カーテンで素敵なドレスを作ってました。

 

そして最近、印象的だったのは「サトコとナダ」の1ページ。

 

「私は私のために服を買うけどね」

「サトコって服装自由なのに」

「私よりよっぽど不自由ね」

 ムスリム女子の言葉です。

 

文字を減らすと家がスッキリ!手間もお金もかかりません【淘汰82】

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ミニマリストになってからの小さな変化。
家中の文字情報がわずらわしく感じるようになりました。ささいなことだと思っていたけど、積り積もれば本当にわずらわしい。

めんどい系ミニマリストの解決方法

結論から言いますと「パッケージを剥がす」です。
あらゆるものを、ひっぺがす。それだけ.。

予算もなければ器用でもない、そんなめんどい系ミニマリストの解決方法。

 

洗剤をひっぺがす

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お風呂でも

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洗濯洗剤も

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トイレでも

洗剤類のパッケージって、特にうるさく感じます。
店頭で目立たなければいけないし、熾烈な生存競争が繰り広げられているから仕方ないけど…家の中でまで自己主張されてもね。
もはや使用方法も注意事項も読まないし(自己責任)。

なので、剥がせるものは剥がしまくっています。
各所に1つだけなので、家族も迷わないだろうし。 

 

キッチンでもひっぺがす

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食器洗剤も

真っ白になってスッキリしました。
洗剤って詰め替えて長く使うじゃないですか。するとパッケージのフチが剥がれかけたり黒ずんだり、そこからカビて嫌だったんですよね。剥がして清潔になりました。

いつもは食器洗剤だけ置いて、スプレーの漂白剤は足元に仕舞っています。

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ウェットシートも

シート類のパッケージもにぎやかで、かつ使うにつれ袋がベコベコになるのが嫌でした。かといって入れ物に大金かけるのもね。

上のシート入れは100均のトイレ用なんだけど、シンプルなのでキッチンで使っています。
ありがとう、アテクシのメゾンDaiso…

 

調味料もひっぺがす

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調味料も

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レトロな印象に

家族で使うものなので、ドレッシングやスパイスなど混乱しそうなものは避け、ソースや塩などひと目で判るものだけ剥がしている(つもりです)が、それでもかなりスッキリします。
冷蔵庫も、食卓も。

 

化粧品もひっぺがす

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オールインワンゲルも

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除光液も

綿棒は100均のものだけど、剥がすとなぜかレベルアップ。

ちなみに上記はこれらの商品です。 

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このシンプルバランス乳液。夜にペチャッと塗るだけで、肌が調子よいのです。
モノって値段やブランドも大事だけれど、やっぱり相性だなって、歳を重ねるほど感じます。てか自分が納得できるのが一番大事。

ホント良い品です、剥がせるし。

 

手間もお金もかかりません

どうせ使用後には分別するんだし、それを使用前にするだけ。同じ手間なのに、使用中はとってもスッキリ。

最近は「パッケージが剥がせる」のが購買基準。
(ある意味真逆のパケ買い)

ディスペンサーを買ったこともあったけど、どうにもハズレが多いというか…やはり既存のものが使いやすくできています。劣化もしやすいし、新製品が出れば気になるしで、わざわざ買うのはやめました。

 

さて、パッケージを剥がして文字の淘汰。スッキリすると言ったものの、やはり物を減らさないと効果は薄いでしょう…結局は存在感をなくしてステルス性を上げるだけなので。
物が多ければその中に埋もれるだけですから。

 

綺麗より小綺麗を目指すのがオススメです

ホテルのようにスッキリした住まいって、つまり生活感のない状態です。
じゃぁ逆に生活感のある住まいって、「物」と「日本語」が多い状態ではないでしょうか。

英字新聞の包装はオシャレなのに、家の古新聞で包んだ瞬間「仕送り」になるアレですな。

 

( ゚Д゚)カアチャン…

 

だから私たちは生活感の薄れるもの、つまり限定パッケージのオシャレな洗剤ボトルや美しいブランド品、ロハコや無印良品などのシンプルな商品に惹かれるのしょう。

私も若い頃、瓶の美しさにハマってオイデルミンを愛用したっけ。

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資生堂 オイデルミン (L) 200mL
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あらゆる日用品やインテリアを同じブランドで統一すれば、綺麗なモノが揃うかもしれません。だからと言って、買いまくって物が増えたら、綺麗な住まいではなくなります。

高望みせず、まず減らさないと。
それから、パッケージを剥がす。
かなりスッキリすると思います。

綺麗より小奇麗に。
それを心掛けたら、私は暮らしやすくなりました。

 

ところで。
レンジが壊れて買替を検討中ですが、最近のはボタンも文字も多くてめんど 多機能すぎて…そこでバミューダに惹かれています↓

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それは引き算を極めた美しさ。
虚飾を排した「機能美の粋」

美しいなぁ…欲しいなぁ…(高望み)

ヤカンを手放し、介護や入院でせわしない今、ミニマリストでよかったと痛感する【淘汰81】

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ご無沙汰しました。

面倒くさがりが高じて捨てまくり、偉そうに記事にした物も捨て、もはやブログすら捨て去りそうなkrolessです。申し訳ない。

というわけで、今回は「紹介しておきながら節操なく宗旨替えした物」紹介と、断捨離してよかったと痛感した出来事について。

 

節操なく淘汰したもの5選

1、さよならマグちゃん

洗濯洗剤を「アタックゼロ」に変えました。
マグちゃんは私の環境には合いませんでした…脱水前に取り出すのが面倒で(使い切ったので勘弁して)。


 

アタックゼロが発売されたとき、コレだ!という衝撃が走ったのです。洗剤にしろ漂白剤にしろ、フタで計量するのが面倒だった…こぼすし汚すし。
それに筋繊維痛症の私は漂白剤のフタをねじって開けるより、ギュっと握るスプレータイプがラクみたい。

2、漂白剤もクレンザーも淘汰

アタックゼロが思いのほか便利で、洗濯やキッチンの漂白剤もスプレータイプに変更。茶渋の漂白がラクになり、クレンザーが不要になりました。そもそもヤカンと茶渋以外、使う機会も無くなってきたのでね。なもんで

3、ヤカンも淘汰

息子が高校受験の際、部屋で使っていた電気ケトルを譲り受け、ヤカンを淘汰。15年使って水漏れしてたので、よい頃合いでした。

4、朝の拭き取り洗顔も淘汰

朝は拭き取り洗顔してました。でも今は化粧水とコットンを淘汰し、シートマスクを愛用中。
布団の中で、洗顔から保湿まで1分で終わります。 


 

5、ジム通いをやめたら痩せた

肩が痛くて受診したら、なで肩すぎてドクターストップ。安静とマッサージを勧められました。で、だらだら揉んでたら痩せました。

 

( ゚Д゚)ナゼ

 

ちなみに購入したのはこちら↓


 

 


 

不思議に思ってたけど、先日のNHKで答え?を見つけました。
肩回りをほぐすとファシアなる組織(筋膜みたいの)がゆるみ、背骨が伸びるそうです。それが姿勢の矯正とスタイルの改善になるそうで。

 

とまぁ買ったり捨てたりしてますが、洗剤類の出入りはありがちなので…ヤカンを【淘汰81】でお願いします。 

 

物を手放し、家を整えておいて本当によかった

この数か月、断捨離してよかった…と実感する出来事が多々ありました。

まず、急用による親の帰郷。「ホテルを取るから一泊だけさせて」という申し出だったけど、全然ヨユーだからと引き留めて連泊してもらえました。客間はキレイなので掃除もいらず、準備は寝具を洗うだけ。久しぶりに親子の時間を持てました。夫にも感謝。 

その後に母の緊急入院。遠方で何も出来なかったけど…滞在時に一緒に買った上記のパックが便利だったそうで、すこしは役に立てたかな?
幸い数日で退院できました。

さらに義母も救急搬送され、いまだ入院中です。でも今回、やっと親戚にもご理解いただきホッとしています。十年同居したけど、周りの理解が得られないのが一番ツラいからさ…

 

以前、介護の記事を書きました。

物を減らして家事を減らしてみませんか?
育児ならまだしも、看護や介護が続けば心も生活も荒れます。忙しくて掃除も洗濯もままならない。看護介護される側の物を減らすのは難しいでしょうし。

物を減らせば薄情だと言われ、静観すればネグレスト扱い、親戚からの糾弾もあるし、行政に頼るにせよケアマネさん呼ぶにせよ、家の体裁は整えなければなりません。

幸せな看護介護はレアケース。下手に弱みを見せると、喰われて骨になりますよ。

今回ほど強く思ったことはありません。
物を手放し、家の体裁を整えておいて良かった。

救急搬送されて数時間後。
義母を病院から連れ帰り、整った和室に清潔や布団を敷いて、すぐ看護できました。気難しい親戚が同伴する中、アタフタせず淡々と対処できたのは、後に周囲の理解にも繋がったと思います。

なにせ翌日入院したので。

搬送時にしっかり検査してれば即入院の病状でした。それでも、もし親戚の前で無様な姿をさらせば「1日もマトモに看護できない嫁」と罵られたり言い触らされでしょう。

なにせヤカン以上に突沸する親戚なので。
さんざん煮え湯を飲まされましたよ…

今思えば、下手に弱みを見せれば破滅する状況でした。また喰い散らかされ、骨になるところでした。でも今回、私は平常心で淡々と対処できました。

家が整うと自尊感情も信用も得やすいというけど、こういうコトなのかな…

これはきっと、私の人生のターニングポイント。
自分のための断捨離のつもりだったけど。
なんだか、やっと報われた気がする。

物を手放し、家を整えて本当に良かった!

 


…いずれヤカン人間も淘汰したいもんだ(本音)

 

家事のマイルールを淘汰すると、自分も家族も楽になるかもしれません。【淘汰80】

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ミニマリストになったら、私は昔より丸くなったと思うのです。
家族に言ったら(´・ω・)て顔をされそうだけど。

 

ミニマリストになったらユルくなったと思う

ミニマリストには禅僧のような、ストイックで厳格なイメージがあります。チリ1つない部屋、モノ1つない暮らし、説法に則った清貧な生き様。一掃除二信心。

私もそう思っていたし、そっち側の人間だと思ってた。

でも、物を手放したら…執着を手放せたのか?時間や余裕が出来たからか?こだわりが減ってきたというか。

きちんとしなきゃという気負いが無くなり、とても楽になりました。世間体や嫁や母の立場を必要以上に気にするクセが減ったのです。

人の言葉に過剰に反発したりキズ付くことも減り、夫とも意思疎通できるようになったしね。トシ取ったのと鈍感になったのもあるけど、かつての物に溺れてた私では、こうは変われなかった、とも思う。

躾けなきゃという強迫観念が減り、私より大きい子ども達を、生まれた時の素朴な気持ちで「かわいい」と思える様になったのは幸せなことでしたね。

落ち込んでも、まぁきっと大丈夫、と思えるようになりました。 

 

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ユルいとだらしないは違うと思う

とはいえ、ユルいとだらしないは違うと思うのです。

(`・ω・´)キリッ

我が家の一階はスカスカだけど、二階は各々の自主性(という名の諦観)に任せています。つまり子ども部屋はなんていうか…巣、かな、アレは…

いやいや、キレイの基準は人それぞれ。私も昔は散らかしてたから偉そうなコト言えないし、わたしのマイルールを押し付けてはいけません。

ただ、子どもにはいつか、物を管理できれば人生のロスが減ることを知ってほしいな。

物を探す手間や片付けの労力、果ては金銭や健康、自尊心の損失につながる場合があることを解ってほしいと願います。

若いからこそ、たくさんの好奇心や欲望とともに、たくさんの物や経験を得ることができるんだし、いずれ大事な物だけサルベージできればいいな、と。

本人が自覚するまで難しいし、自覚すら難しいかもしれないけど…

まぁあの子たちは大丈夫、だといいなと思います。

 

物が多いとマイルールが多いと思う

とはいえ、母を見ていて思うのです。
物が多いとマイルールが多いのかもって。

例えば食洗機。
このスポンジが予洗い用、とびらの裏の汚れ防止に敷くタオルはコレ、並べ方はこうで洗剤はこれ、タオル置き場はココで皿の仕舞う場所はアレがココでコレはアレの奥…

一つ一つに尤もな理由があるのも確かです。ナルホドとは思うけど…永遠に指示が要るので手伝いも難しく、結局母一人の仕事になってしまう。

父だって魚も捌くし、刺身も肝和えも造る人だけど、全てが母専用にカスタマイズされたキッチンで、ベテラン主婦の管理レベルに合わせて片付けるのは難しいんじゃないのかな。私も難しいもの。

ウチは「濯いで入れてて~」だし(※感謝と笑顔は必須)。

でもこれは、母が格別に神経質なわけではなく一例であって、あるあるだと思うのです。長年プロとして家事を一手に請け負ってきた彼女らの、生き甲斐であり誇りでもあるのだから。

だから、私が母にどうこう言っても難しいと思うのです。夫婦で妥協点を探るしかないんじゃないのかな。

まぁ夫婦仲もいいし、大丈夫じゃないかな、と思います。

 

マイルールとワガママは違う(と思う)

屋台ですませるアジアの朝食とか、欧米のシンプルすぎるお弁当とか、心底羨ましく思うときもあるけどさ。

世界に比べて日本はとか、男性ばかり女性ばっかりとか、昔に比べて今どきはとか、母と違って妻はとか、息子はともかく娘はとか…

普遍的相対的にルールを述べても無意味だと思うのですよ。

朝食を食べない夫と、5品付けないといけない夫ではルールは違う。兼業と専業主婦、同居と別居、自宅と賃貸、都会と地方でもルールは変わる。育児介護の有無、家族構成、経済状況、健康状態、就業形態…あげればもうキリがない。子どもや母のように、世代間でもルールは違う。子どもの成長に応じてルールは変わる。

壮大なビジョンでルールを語るから、現状の個々の家庭に適応せず、ストレスが溜まるんじゃないのかな、コレ過去の私ですけど。

状況が変わるたびにルールを変えざるを得ない。それがマイルールなのかワガママなのか、みんなのルールになりうるのかを、家族ですり合わせなきゃないのかな、と感じます。

 

人生は風まかせ、家事は家電まかせ

状況はコロコロ変わるし、家族、いや人生のルールなんて風まかせかもしれません。

でも、家事にマイルールが多いと疲れるし、自分が一手に引き受けることになってしまいます。かと言って、家族を従わせる程の権力も人望も無いもんで。

私は、家事のルールは家電にお任せしています。

トースターが壊れ、今はグリルでパンを焼いています。子ども達も事足りている様なので、現状維持でいくつもり。

食事も「早く食べ終わって」と急かすより「食洗機が明日に間に合わないよ~」の方が動いてくれますね。入浴と洗濯機も以下同文。

もう完全に、主婦と母親の座を家電に乗っ取られておりますが、無難に済むし。

 

まぁ別にいっか、大丈夫なんじゃね?とユルく考えてます。

 

家事を朝9時に終える先生に学ぶ。意識を変え「終わらない家事」を淘汰する【淘汰79】

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「家事は朝9時に終わる」

着付けの先生の言葉です。

小柄で上品な年配のご婦人でした。毎日着物を着こなし、自ら運転してあちこちで講座を開く忙しい身でありながら、家事もこなしていたのです。

家事は朝9時に終わる—着付けの先生の話

着付けは体で覚えるものだから、着ないと忘れてしまう…という話から、「「でも毎日忙しくて、着るヒマなんて実際ないわ~」」と声が上がったときの、先生の一言でした。

 

( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)

 

朝9時!本当に?同居じゃないの!どうやってんの?と(着付けより)熱心な生徒達。

…もちろん、お夕飯はつくるわよ。でも、子どもも家を出たし、主人と二人だから気張らないの。朝食とお弁当を作って掃除洗濯、たまに着物の手入れをしても10時には終わるかしら。早起きはもう出来ないし、大したことはしてないわ…

皆の熱意?に軽く引きながら話してくださり、ご家庭によってちがうから…と切り上げた先生は淡々していて、なんかもう本当にカッコよかった。

もう10年以上も前の話で着付けも忘れちゃったけど、この言葉だけは忘れることなく、いつしか目標となりました。

 

家事を「終わる」と言える先生のカッコ良さ

かつては単純に「朝9時に終わるのスゴイ」と思っていましたが、今は変わってきています。

「終わる」と言えるのがスゴイと思うのです。

先生もご自身で言っているのです。「もちろんお夕飯はつくるわよ」と。
実際は夕方も家事がある。買い出しも片付けも、朝も夕も、家事は終わらないのです。

その永遠に続く家事にメリハリを付ける努力、切り上げる潔さ、なにより終わる、と言いきる姿勢がスゴイと思うのです。

終わらない家事を嘆くほうが楽なのに、それを淡々と「終わる」と言える。
それが最高にカッコイイと思うのです。

 

朝家事が終わる幸せ

あれから10年。
私は目標にかなり近づけたと感じています。

実際は毎晩炊事があるし、休日には家族の起床時間にあわせて配膳し、洗濯しお茶を淹れ掃除をし…結局は働くし、いつも弁当のメニューを考えているけれど。
でも、以前の焦りや苦痛を感じません。

家事が「終わる」と思えるようになってきたのです。

10年かけて物を減らして管理も買い物も減り、設備(食洗機と洗濯乾燥機)が充実しました。全てが簡略化され、家族の理解も得やすくなったのです。

育児介護・看護がひと段落して家事だけになったら、なおさら実感しましたよ。

あ~捨ててホント良かったぁ(*´Д`)って。

 

意識を変えて「終わらない家事」を捨てる

働いている方は特に、出勤時間に合わせて強制的に家事を切り上げるワケで、実は皆さん既に朝家事を実践されていると思うのですね。

だから着付けの先生も淡々とされていたのでしょう。

今なら解ります。家事は続くんだもの。私も大したことはしてないです。

夕食後にあらかじめ食洗機を動かし、洗濯機は最後に入浴した人にスタートボタンを押してもらいます。翌朝、それらを畳んで脱衣所の棚へ仕舞い、食器の片付けとクイックル。

お弁当をつくりつつ、子ども達の朝食は主にプレートで配膳。食後は食洗機にポイ。グリルトップや調理台をシートで拭いてポイ。

物が減り、作業量が減りました。家事に嘆くかつての自分と比べて1割にも満たないです。それでも「終えた」と思えるのです。

終わらない家事を嘆くより、続く家事を「区切る」意識が大事なんだろうな、と今は感じているのです。

 

家事は終わらないがコントロールできる、育児はコントロールできないが終わる

子ども達も成長し、看護介護もひと段落(またあるかもしれませんが)。

「家事は終わらないがコントロールできる、育児はコントロールできないが終わる」と実感しています。

育児はともかく看護介護なんて先が見えないし、期間も負担も激増します。介護用品もベビー用品も増え続けます。いずれも制御なんてできません。

でも、もしかすると、家事だけならば。
すこしだけ制御できるかもしれません。

だから、終わらない家事に苦しんでいるなら、物を減らしてみませんか。

 

家事を終わらせたその先に

私の実感ですが、家事の制御にコツも賢さも良妻賢母も要りませんでした。物を減らすだけでした。片付けが一番大きなウェイトを占めるのだから。

物が減れば管理も手順も減ります。自分の意識も変わり、家族にも理解や協力を得られるかもしれません。

錆びたスプーンや欠けた箸、劣化したコップや未開封の景品皿はありませんか?救急箱に古い薬、裁縫箱に曲がった待ち針は?独身時代や産前のキツイ服、痛くてずっと履けない靴、肌に合わない化粧品は?

それらは内心、処分を先延ばしにしていた物かもしれません。
手始めに減らしてみませんか。少し物を減らして、少し負担を減らしてみませんか。

それを続ければ10年後、終わらない家事が終わるかもしれません。

 

着付けの先生にも、大変な時期があったはずなのです。しかし淡々としたお姿からは、過去の苦労など伺い知ることはできませんでした。住み込みのお手伝いさんがいるご婦人のような、端正で上品な佇まい。

朝家事を終えた今、次の目標は先生のお姿です。年を重ねつつ、少しでも近づきたいと憧れているのです。

 

物を捨てて「忙しい」を捨てる【淘汰78】

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私は物を捨て、忙しさから抜け出すことができました。
スリランカ上座仏教の長老、アルボムッレ・スマナサーラさんの著書、「忙しい」を捨てる—を読んで実感したのであらためて。

  

 

過激な言葉で、柔軟な思考を語る

この方の本は好きで以前から読んでいましたが、これもまた強烈でした。前提も常識も生きる世界も全てが違う。納得したり反感を抱きつつ、何ともクセになるのです。

人生についてはマンネリ的に考えないで、客観的に観察したほうがよいのです。伝統、文化、習慣、信仰などは、私たちの思考を濁らせるのです。

にはじまり、

宗教は人間の妄想を商品化しているだけです。 

に終わる。

 

( ゚Д゚)ワァ

 

ご自身が宗教家でありながら、なんとも豪快な。
(学者でもあるからでしょうけど)

返す刀で、時間に追われる日本人も、バッサリ切り捨てます。忙しい人は反感を感じるかもしれません。文体は対談や講演会を聞いている様で、あちこちにキーワードが埋め込まれている感覚。

過激な言葉で、柔軟な思考が綴られているのです。

そのギャップが、クセになるのです。


 

 

今、わたしは忙しくないと実感している

今、私は有難いことにそれほど忙しくありません。
残業は無いし子どもも成長したし、介護もとりあえずひと段落しているからだけど、それでも昔の私なら、それでも時間に追われ「忙しい」と感じていたでしょう。

気忙 きぜわ しいというか、気が休まらないというか。

仮に専業主婦だとしても、落ち着かないままに一日を終えて疲れきり、寝ようにも勿体なくて眠れない、そして朝は寝不足で体調不良で家事が溜まってて…

終わらない、気付いてもらえない、認めてもらえない。頑張っても報われず、意見しても届かない、余裕どころか時間が無い、体も心も休まらない、給料も達成感も何もない…

そんな日々を過ごしていたかもしれません。

 

以前は死ぬほど忙しかった

かつては結婚と同居と妊娠、仕事と育児と看護介護すべてが重なり、忙しかったのです。筋線維痛症になるほど、体も心も追い詰められていました。そんな私が心の平穏を取り戻したのは、片付けでした。

といっても掃除で「感謝・修行」系の考え方は大嫌い。むしろ悪化しました。

これは修行、期待してはいけない、むしろ感謝しなきゃ…という「べき思考」に陥って、ままならない自分に嫁失格・妻失格とセルフ追い込みをかけました。

まぁその結果 逆切れ 開眼できたので、結果オーライかもしれませんが。

ある日ブチ切れ、(新婚なのに)生前整理よろしく捨てていた私物以外にも手をつけはじめました。苔むしたタイヤ、割れた植木鉢、塗装のハゲた物干し竿…

処分は罪悪感が伴うし、体もつらく、周りとの軋轢もひどかったですが、正直なりふり構っていられませんでした。

生まれてくる子のためも、自分が生きるためにも…と。追い詰められていたのかな。

…いや、子ども云々は口実かな。
充分したたかに生きてたね、私。

 

物が減るにつれ、忙しくなくなった

そんな数年を経て、物が減るにつれ実感するのは、家事が楽だということ。管理も要らない。時間も掛らない。体力も使わない。買い物も減った。手順も減った。

家事が楽になれば、自分を気遣うこともできます。体調もだいぶ戻り、体の痛みも減りました。

もちろん環境の変化や子どもの成長、良いお医者さんに恵まれたのも大きいですが、物を減らす=家事を楽にするのだと実感したのです。

以前、物の多さは家事のバグだと書きました。

 

www.kajiless.com

物を減らし、今やる。それだけで、プログラミングは簡素化します。
物の多さは家事のバグ。
ただただ物を減らすだけで、家事の効率は上がるのです。

物が少ないとスグやれて、物が少ないのでスグ終わるようになったのです。

 

私達は概念の奴隷、物の奴隷

スマナサーラ氏は言います。

時間も自我も血圧の正常値も、私たちが自ら作り出した概念でしかなく、それにより自ら支配され奴隷となっていると。

それを世間は常識というけれど。

腹囲の正常値やウエストの細さ、あいまいな退社時間や結婚適齢期、メイクの流行やスキンケアの順番…確かに私たちは、自ら作り出した概念に支配され、忙しくしているのかもしれません。

まぁ、社会の在り方や企業の戦略まで考えたらキリが無いので、これらは置いといて。

私達は簡単にの奴隷にもなりえます。
概念や欲望が具現したのが、物だから。

いつでも何でも買える現代。買うことに疑問を持たず、壊れても処分せず、買い増ししても使わずに増え続ける物たち。

常識、という名の概念が心身に浸透し、いずれ思考停止する様に、物は生活に浸食し、いずれ私達を動けなくしてゆきます。

支配され囚われて、動けないことに気付けない。そして自ら買い集めた物の奴隷となり、忙しいのではないでしょうか。

 

あのとき、私は「物に支配されたくない!自分の人生を支配したい!」とキレました。
それはきっと、物に囚われた魂の叫びだったのかもしれないな、とも思うのです。