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家事をレスに。

淘汰された100の物たち73【新品信仰】図書館の女神とリサイクルの神を信じてる。

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新品にこだわらなくなりました。

稀に行くリサイクルショップでは、いつも良い品にばかり恵まれます。あと図書館も大好き。ふと気になって手にした本は、なぜか何かしらの気付きをいただきます。

私には、本の女神とリサイクル神の御加護があると信じてる。

 

ブランド品や新品のほうが良い物もある

もちろん、全てを安物や中古でまかなっている訳ではありません。

そこまで中古品や破格品に固執しないし、逆に新品やブランドにこだわらない。自分に見合った品と価格であればいいんでない?

でも、安物はダメかな、って思う品もあります。特に感じたのはクレヨンやクーピー、色ペンなどの文房具。

全然色がのらないくて、子ども達も力を入れるので折れたりペン先を潰してしまい、結局買い直して割高になりました。当然ですが、メーカー品は色のノリが違います。

逆に、定規は高かろうが安かろうがスグに折るので、100均さんが有難い。品や状況にあわせて使い分けています。

 

ネットフリマへの疑問

かつてはネットフリマを彷徨い、リサイクルショップで服の山を堀り、着古した服で段ボールの山をつくっておりました。

なんか、必死だった。

しかし家から物が消えてゆくにつれ、徐々に醒めました。フリマをする目的がいつのまにかすり替わっていたことに、気がついたから。

物と向き合い、その結果フリマを選択したのではなく、賢く売買をしていると思いたかっただけだったから。

相手を見ず、恋を楽しむアバンチュールに近いものを感じたんです。

もちろん、真摯に賢く売買をしている方も大勢いるのは解ります。
でも私はそうじゃなかったかもしれません。売買を娯楽にしつつも、倹約する良妻賢母だと思いたかったのかな…と。


真摯に相手と向き合わず、男を渡り歩いては恋に賢いイイ女ぶるみたいに。

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リサイクル神の御加護

醒めた今、リサイクルショップの利用は年数回。でも不思議なことに、それから良い品に巡り合えるようになりました。

コートやブラウス、家電など、必要なものを目的に店に行く。するとその品がちゃんとある。サイズも合う。

そして何故か、新古品があるのです。家電は箱に入って投げ売りされ、コートはその1着だけタグがついたまま、300円の林の中に埋もれている。何時間も探し回るわけじゃない、数分で出会えるのです。

お支払いの時、私は本気でリサイクルの神に感謝します(あと店員さんにも)。今日もまた神がおわした、御加護をいただいた…と。

そして、家に帰ってからタグに9,800円と表示してあることに気付き、あらためて感謝をささげるのです。

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我が守護神のシンボル(リサイクルマーク)

 

中古品に難はあるのか

そんな私ですが、リアルでは中古品売買を語りません、生理的にダメな方もいるもんね。ネットにも『中古品の浄化方法』などの情報があるし、私も思うところが何一つないとは言いません。

でも…

だったら寮や賃貸には住めなくなる。アンティークやお下がりや遺品は穢れなの…?

図書館なんて、悩み苦しみ生み出した何千年分の故人の著書を、無料で使いまわす呪いの館になってしまう。

図書館に限らず、博物館も美術館も略奪と征服の成果だし、歴史的名所=大方が怨嗟の地だし。でも、それらは大体「ロマン」で済む。

一生持ち家に住み、新車しか買わず、図書館も古本も利用しない、歴史的名所も苦手、というならともかく…

古本や賃貸、中古車や古典や名所は平気で、中古の品だけ怖がるのは、どうかなぁって感じます。

まぁなんか、中古品て生々しく感じるかもね。しょせん上記も屁理屈だし、ムリなものはムリだよね。

どうしても苦手だとか、過去にイヤな思いをしたのなら、新品を買うべきだと思います、その方が大切にできるもの。

また、中古品だけど気に入って、でも気になるって場合も、掃除洗濯すれば大丈夫じゃないのかな…

物と向き合い淘汰して、罪悪感で苦しんて消化した今、感じるのです。物は仕返しなんてしないんじゃないのかな…って。

 

それは天からの贈り物

Yesterday is History,
Tomorrow is a Mystery,
but Today is a Gift.
That is why it is called the PRESENT.

昨日とは過去のもの。
明日とは未知のもの。
今日の日はもうけもの。
それは天からの贈りもの。

これは歴史家アリス・モース・アールの言葉で、ルーズベルト大統領夫人が引用し有名になったそう(私はカンフーパンダで知りました)。

本と品物に関して、いま私はこれと似た思いを感じます。多くを望まず、大切なものだけ見据えていれば、必要なときに何かしらの天啓があると。

過去に固執せず、未来を心配せず、今はただ、この与えられた贈り物を安心して得、何かしら感銘を得ることが出来る。そんな確信めいた何か。

これは淘汰の果てに得た、不思議な感覚でした。

 

自分の在り方や人との関わりについても、いつか達観したいものですね…

とはいえ、自分や人を淘汰する訳にもいかないし。
どうしたもんでしょうね(;´Д`)