兼用・代用で物は減る!淘汰された100の物たち—8個目
淘汰100(略)の8つ目は、風水でも重要視されるマット類。
だけど我が家は、玄関マット、キッチンマット、トイレマットにはじまり、脱衣所、リビング、子ども部屋に至るまで…あらゆるマットが淘汰されました。
人に比べて幸せになったかは、今の時点ではわかりませんが…掃除がラクで、以前より清潔になった点では個人的に幸せです。
まじないを信じたい時もある
震災から数年後。
津波と復旧と海風の土埃に困って玄関マットを買う際、風水を参考にしたことがあります。諸問題が続いて参っていた上、色柄を選ぶだけで境界線の役割をし、悪い気を吸い取ってくれると聞いたので。
でも土埃で滑るし危ないし、掃除は面倒だし洗濯も難しい。数年使い、最終的に落ちない汚れがついたので処分しました。
結局、時間と共に諸問題も移ろい、一部は解決したものの、また別の問題が起こるのは当然の摂理。ご利益が本当にあったかどうか、結局は解からずじまいです。
風水の陰と陽
素人なりに、風水の効能は調べたのです。
我が家の玄関は南向きで、火の気が強いらしい。だから強い色はNGで、ベージュやホワイトのナチュラルなものが無難らしい。
そこでベージュ色の葉の柄の無難なマットを買ったけど、別の流派では赤や紫を選ぶべし、とも言っていて…
風水って難しい。
キッチンには赤いものを置かない方が良いと言われます。でも並行して中国圏で赤は吉祥、赤いキッチン家電が人気だったり…
( ゚Д゚)ムジュン
でも、風水は中国医学と同じ。
病状だけでなく個々の体質に合わせて漢方を処方するように、個々の環境に合わせて家相を診断するのだから、複数の論理があって当然。医者との相性があるように、風水師にも相性があるのだろうし。
マットを淘汰してからは、そう思えるようになりました。
鰯の頭も信心から
「鰯の頭も信心から」と言います。
誤解を生みやすい表現ですが、決して信心を軽んじているのではなく、人間の信仰心の不思議さ、畏怖のような恐ろしさを感じるのです。
崇めるもの自体への畏怖よりも、対象は何であろうと信じ幸せを得たり、はたまた攻撃したり支配すらできる、人間というものにも空恐ろしさを感じます。
そして、かつて危険思想として追われるほどの影響力を持った風水師。
移住したアジア各地で、本場や華僑の人々が真剣に執り行う風水こそが真義であり、秘儀なのではないでしょうか。正直、彼らが奥義を簡単に漏らすとは思えないし。
本当は風水って他国の一般人が触れてはいけない領域で、おまじないレベルで考えてはいけないものだと感じるのです。畏怖とともに。
鰯の頭も消しゴムも、塩も人形も亀の甲も
消しゴムに好きな人の名前をピンクのペンで書き、バレずに使い切ると両想いになれる、恋のおまじない。小学生のころ友達に教えられ、願を掛けたことがあります。
おまじないや参拝、祈祷、呪術…たくさんの名で掛けられる願い。
小さな恋の願いから家族の幸せ、果ては権力や支配に至るまで。願いは生活のみならず政治にも経済にも宗教に入り混じる。
消しゴム、塩、人形、鰯、色に方角…
人はあらゆる物を媒介にし、願う。けれど。
逆説的ですが、そこに物への感謝ってあるのかな。
自分の欲望の代替で贄に利用し、心底大切にしていますという体で崇め奉る。生け贄を屠る前に壇上に捧げる様に。
そんなことを感じてしまい、願い事を物に託す行為の背後にある、人の感情に怯えてしまうのです。
信ずべきもの
神仏も風水も土着の信仰も、おまじないすら畏怖の対象の私。
怖いのだと思います。
でも、玄関マットをはじめあらゆるマット類を手放し、あらゆるものを淘汰していくにつれ、そういった思想も淘汰され、支配されなくなってきました。
そして陳腐だけど「自分を信じる」「こつこつがんばる」ということの重要さを再認識しています。
今まで悩みながら、たくさんの物を手放してきましたし、いまだ罪悪感もあります。けれど反面、その物たちが今も私に教えてくれるのです。
物を媒体に何かに願うのではなく、自分自身に願い、日々を信じ生きる。何かを成し、叶えるのに大切なことは、『自分』と『時間』を信じることだと。
本当に、感謝しています。
おまじないののろい
小学生の時の恋のおまじない、後日談。
結局はその友達(?)に消しゴムのカバーを剥がされて好きな子にバレ、囃し立てられて恋は終わりました。
少ないお小遣いを握りしめ、町に一件しかないファンシーショップで真剣に選んで買った、可愛い消しゴムと香り付きのペン。信じて名前を書き、暴かれ、傷ついた。
でも今思えば、私はあまりにもうかつでした。
自分を守る術も他人の欺き方も知らず、人の心の裏も、周囲の悪意にも気付かぬほどに。
しかも願は成就しました。「バレたら恋は叶わない」という形で。
人の怖さを知った、幼いあのとき。
私にとって、「お呪い」は「呪い」となったのかもしれません。
【前の記事】