兼用・代用で物は減る!淘汰された100の物たち—7個目
淘汰100(略)の7個目は、生ゴミ処理機です。
新婚の脳ミソお花畑のまま、家庭菜園にあこがれて買いました。トマトすら育てたこと無いくせに。
脳ミソお花畑
結婚や出産で脳ミソがお花畑になる話を聞きますが、私の場合は本当に「お花畑」を作ろうとしていた模様でした。
まるで他人事の様ですが、今思い出しても別人の思考をのぞいている様で、イマイチ実感が湧かないのです。
大体、それまで野菜を作ったことすら無いのに、なぜ結婚し、同居して仕事もし、子育てしつつ家庭菜園を作れると思ったんだろう?
そもそも土地すらないじゃないか。あぁ、だから生ゴミで土から作ろうとしたんだっけ…?
( ゚Д゚)ナンダソリャ
野生ブラウンハンドの野望
植物を上手に育てる人をグリーンハンド(緑の手)、逆に枯らしてしまう人はブラウンハンド(火の手)と呼ぶそうです。
そして私は生粋のブラウンハンド。
山に入り沢に入り、木に登り崖を下り、自然と戯れた野生児。なのにナチュラルボーンのブラウンハンド。
植物どころか動物も枯らす幼少時代。
マリモを枯らし、サボテンを枯らし、カブトエビはフリーズドライから孵ってフリーズドライに還る。
大人になってもその性分は直らず、ブラウンハンドを自覚していたハズなのに。
新婚当時は「生まれてくる子に新鮮な野菜を食べさせたい」などと供述しており…
( ゚Д゚)ナンダソリャ
当時の私の頭をバールのようなものでこじ開けたい…
お花畑しか出てこないだろうけど。
蓋を開ければ腐敗臭
こうして始まった結婚生活。
蓋を開ければ義母はうつ。妊娠出産したら義祖母はがん。同居に育児でただでさえしんどいのに、さらに拍車をかける、生ゴミ処理機。
( ゚Д゚)クセェ
腐敗独特の甘酸っぱい、すえた匂いが家にただよう。
屋内設置のバイオ式をマニュアル通りに使っていたつもりだったけど、それはひどい臭いでした。
蓋を開ければ腐敗臭。
生ゴミ処理機は、今思えば私の新婚生活の象徴だったのかもしれません。
腐敗の終焉
結局はニオイに辟易し、かといって外で使えば漏電の危険もあるということで、早々に倉庫に放り込んでおりました。
ところがある日、リコール対象との連絡が。
妊娠出産、看護に介護とバタバタし、たぶん1年以上は眠らせていた生ごみ処理機。
ビビりながらおそるおそるふたを開けると、なんだか懐かしい森の香り。腐敗したと思っていた生ゴミは時を経て、黒々とした腐葉土となっておりました。
しかし、時すでに脳内お花畑は枯れ散り、干からびた私。
淡々と腐葉土を捨てて回収業者に渡し、代替品は新品未開封のままリサイクルショップに売っぱらったのでした。
家族の醸成と個の消失
発酵も腐敗も、微生物の活動にすぎない。
それが人にとって有益なら発酵、有害なら腐敗と都合よく区別されるだけ。
人も家族もなんだか似ている。
生ゴミを生み出す日々の生活が、愛情という湿度と感情という微生物で醸されてゆく。個を消し、入り交じり、安定した状態に至るまで。
それが世間に見合えば発酵、さもなくば腐敗と称されるのだろう。
湿度が過ぎれば、それこそ何でも腐敗する。情が過ぎれば、家族も親子も腐り爛れるのかもしれない。かといってドライになれば、家族の情も乾いてしまうのだろう。
甘やかな夢をみた私の結婚は、甘くすえた腐敗臭に始まりました。
あれから15年。これから家族はどう変容するのだろう。
時と機会を得て、生ごみ処理機のように森の香りになるかもしれません。豊かな腐葉土となれるかもしれません。ひどい臭いを放ち、腐爛するかもしれません。もしくは乾ききり、カラカラに枯れ果てるかもしれないけれど…
家族らしさという甘い菌
下重暁子先生の「家族という病」を読みました。
感じたのは意外なことに、瑞々しさでした。変容する社会にも家庭にも醸されず、発酵も腐敗もせずに生きる。そう生きてきた著者の、瑞々しさを感じました。
個を捨て、醸成の後に得られる安定に甘んじない。
その覚悟を経て、今は自力で大樹の様に安定し、自身から瑞々しい葉を茂らせる著者の『自分以外の個に期待してはならない』という言は、陳腐かもしれないけれど、今の私にはずしりと響きます。
|
お互いにまじりあい、人間関係を造り上げていくのが大切なのに。
私は家族をつくる以前から、甘やかな家族菌に冒されて個を失い、役目を得る、という自分以外の環境に期待したのかもしれません。
その代替、というか象徴が生ごみ処理機だったけど、それを皮切りにあらゆるものを手放して自身を整理し15年。今さらながら、自分の核みたいなものを見つけつつあります。
正直『個』なのか『我』なのか判別もつかない。ただの更年期障害?年取って意固地になった?
それとも、嫁や母親、妻という役目の代替を探しているのだろうか…
菌に冒されず残った核。それはきっと小さな種。
今さらだけど、芽吹くだろうか。
ブラウンハンドの私に、育てることができるだろうか。
結局は日々の雑事に醸され、溶けて無くなる気もするけれど。