兼用・代用で物は減る!淘汰された100の物たち—0個目
物を減らすと不安、という方も多いはず。でも、割となんとかなるもんです。似ているなら兼用・代用することで、物が減っていきました。
三国志リサイクル説
うろ覚えで、なぁんとなく記憶にある程度で不確かなのですが…
(違っていたら赤っ恥)
劉備だったでしょうか?貧しい農夫宅に一泊したときに足湯をした器で湯を出され、薄い粥すらその入れ物で振舞われた際に、貧しさと感謝に涙した…というシーンがあった気がします。すぐ泣くから劉備だと思う。
また別のシーンでは、やはり食事にもことかく貧しい家の夫が、妻を(リアルに)料理して曹操か誰かに振舞った様な?『読者へ―』って翻訳者訳注がありました。
( ゚Д゚)オイオイ…
(無いわー)と思った記憶があるんですよね。色々リサイクルしすぎ…
似ている物は兼用、あまり使わないなら代用
でも確かにこの現代社会、物がありふれているのが現実です。
我が家に王族の末裔なんて来ませんし、体裁を気にする必要も無い。いくらなんでも客相手に足湯から粥椀まで器を使いまわす度胸はありませんが…
管理がめんどい!物に支配されたくない!という爆発から始まったシンプルライフ。その後は物を増やしたくない一心で兼用・代用。すると、ますます物の淘汰が捗りました。
家全体で100個以上は淘汰されたと思うんですよね、多分…(見切り発車)
というわけで、今後しばらくは、それらについて筆を進めたいと思っています。
その前に『淘汰』について
おっとその前に。
まるであらゆる品を不用品・粗悪品と躊躇なく捨てた様に聞こえてしまうので…
物を『淘汰した』と書いたのは、わりとゆっくりと減っていったからなのです、10年以上をかけて。
なるべくは使い切り、劣化や破損で処分した際も、試しに買い替えずに過ごし、問題なければそのまんま。使い終わったけど綺麗な物はリサイクルして現金化し、徐々に減らしていきました。
苦痛なく捨てれたのは、割れた植木鉢やボウフラ製造機だったタイヤ、劣化した化粧品や雑誌などの明らかなゴミばかり。それ以外の品は悩んだり、悔んだりしながらの処分でした。
そうして、10年以上を掛けて徐々に物が減っていったので、私は『淘汰』と呼んでいるのです。
物を減らして気付いたこと
実際には、あらゆる物には需要が有り、ほとんどの方に必要な様に工夫され開発され、販売されているのだと思っています。津々浦々に流通し、多くの方に行き渡っているのですから。
また、新製品や限定品・高級品も素敵です。見て選び、買う行為ってて本当にワクワクします。消費する幸せ、手に入れる喜び。私だって心が躍ります。
でもそこに、「使い切る満足感」も必要なはずなのに…
それが難しい。
物が減っていくにつれ、この考えに至りました。
全部大事にしているつもりで、たんなる持ち腐れだった。物が多ければ多いほど、どうしても個々の価値は軽くなってしまいがち。頭では解かっているつもりの理屈も、物が減ってゆくにつれ、あらためて実感して腑に落ちました。
使い切れない限りは私の適正量ではない、と。
だから、有用だけど「私は使いきれなかった」だけで、消えていった物たちが粗悪品というわけではありません。物に罪はありません。
使い切れない限りは自分の適正量ではない
私たちは数々の物を消費して生きています。
哺乳瓶に始まりランドセルに算数セット、そして老眼鏡や尿瓶まで。
でも、哺乳瓶や算数セットを手放せても、それより安く思い入れも無い雑誌を捨てることができないのは何故だろう?
たぶん、「時期」を逃してしまうからじゃないかと思います。
哺乳瓶やランドセルは使用期限がある。高額だろうと思い入れがあろうと、使い終われば不用品の上、誰かに譲ることもできにくい品々。誰もがわりと真面目に処分を考えざるをえません。
でも、雑誌には「読む時期」なんて無い。そうしてずるずると「捨てる時期」までも逃します。後で、とか分別が面倒、とか回収日を逃した、とかの理由をつけて。
雑誌だけならまだ良い。
雑誌にとどまらず、いずれ物の全てに先送りの習慣をつけ、果ては生活の全てに先送りの習慣をつけていく様になるのではないでしょうか(自分比)
そうやって、自分でせっせと先送りのしつけをしていることに気付かない。これが汚部屋の怖いところじゃないかと思います。
「使い切れない限りは自分の適正量じゃない」
消費する幸せ、手に入れる喜びだけではなく、「使い切る満足感」も共に得ることが出来れば、物への愛情が2倍から3倍になるかもしれません。
いつか手放す、だからこそ
無意味な品なんてきっとこの世に存在しない。
使い方や使う人が無意味にしているだけ、手放す時期に手放していないだけ。
そう思っています、私自身も含めて、ですが。
旬を過ぎて思い出の品になるなら良いけれど、先延ばしではゴミになる。そうなる前に、不要になった時期に、まだ良品のうちに、片を付けた方が良いのかもしれません。
というわけで、淘汰された物たちをなるべく丁寧に紹介しようかな、と思ったのでした。
感謝とか懺悔とか込めてね。