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家事をレスに。

私がフリマをやめた3つの理由

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かつてはネットフリマを彷徨い、リサイクルショップで服の山を堀り、着古した服で段ボールの山をつくっておりました。

でも今は、中古品売買は年に数回となりました。

私のネットフリマの使いかた

現在、ネットフリマは本の売買で年に数回つかうのみ。

ごくまれに良品で、リサイクルショップより確実に高く売れる品に限り、出品します。

子どもが室内で1度使ったきりサイズアウトした礼装用の靴とか、頂いたものの一生使わないと断言できる色した海外ブランドのネイルとか、そんな物たちね。

私のリサイクルショップの使いかた

サイズアウトした衣服できれいな物を、ショップに引き取ってもらいます。ショップにも売れないようなものはボロと諦め、処分することにしています。以前はフリマに出品したり寄付しましたが、やめました。

また、大きくなった子ども達には新品を与えるので、子供用品を血眼になって探すこともなくなりました。

ただし、わたしはまれに古着も使います。
普段着は買いませんが、季節の変わり目や式典でコートやジャケットが必要になった時など、リサイクルショップで調達します。アウターや礼装って、使う頻度が少ないうえに高価ですから。

アウターやジャケットは作りがしっかりしてて保管状況が良いのもあって、古着でも良品が多いのです。その上300円とか、もうたまりません。

私がフリマをやめた訳

私が中古品売買から遠ざかったのは、3つの理由があります。

1、疑問を感じた

苦楽を共にしたテーブルセットを手放したあたりから、様々に疑問が出てきたのです。

【テーブルセット関連記事 ↓ 】

上の記事にもあるのですが、私はルックスに一目惚れしたテーブルセットを真っ当とは言えない?手段で手に入れたのです。そしたら使いにくいったらありゃしない。

悪態をつきつつ16年の腐れ縁を経て、手放すときは愛着もあり、辛かった。そのとき気付かされたんですね。

価値ってルックスや釣書や数字だけじゃない。相手との関係を育むことから得られることもあると。

マーケットや蚤の市での値切り交渉は楽しいコミュニケーションの1つで、それが海外だとなおワクワクする体験です。業者同士なら仕事の一部だし、生活の知恵でもある。

でも、買い叩いたものを長いこと大切にするって難しいんじゃないのかな。
場合によっては物の価値を自ら落としているんじゃないのかな…

相手を見ず、恋を楽しむアバンチュールに近いものを感じたんです。

もちろん、真摯に賢く売買をしている方も大勢いるのは解ります。
でも私はそうじゃなかったかもしれません。売買を娯楽にしつつも、倹約する良妻賢母だと思いたかったのかな…と。
真摯に相手と向き合わず、男を渡り歩いては恋に賢いイイ女ぶるみたいに。

そしたら気付きました。
そういや昔、バリで値切った品が何だったか思い出せない…何やってんだ私。

スっと醒めました。

今では、フリマやリサイクルショップを利用しても、必要最低限。欲望や娯楽の対象ではなくなったのです。

2、物が無くなった

物理的に物が無くなった、というのもあります。

ひたすら寄付して出品してお焚き上げして処分して10年以上。私物は必要最低限、親の断捨離もほぼ済んだ様で、こちらへのお下がりもなくなりました。

何もかもがスッキリしています。

今、手元にあるふくれ織りのジャケットと上質な黒のロングスカート、細やかな装飾のパーティーバッグとパールのジュエリーで、結婚式でも入学式でも参列できます。

すべて中古とお下がりとイミテーションですが、私にとっては一軍です。
最近の新品を買うより、古い物の方が上質だったりするものです。
これに気付いたのは、一軍が揃ってから。

新品が欲しいと思う時もありますが、ペラペラで安っぽく感じて…
若い頃はデザインで選んで良いけど、年を重ねると、服の良さは生地と縫製に尽きます。で、そういうものはお高くて、手が届かないのです。

まぁ買う必要も無いけどさ。
買うと手放す必要があるからね。

3、めんどい

介護看護に仕事に育児にキリキリ舞いのあの頃、さらにフリマという仕事を自ら増やしていました。 

買うために古着屋巡りしてネットに貼り付いて、売るために選別しておうちクリーニングしてアイロンかけて毛玉取って畳んで、送るために緩衝材を買ってビニール袋を集めて段ボールを貯めては物を増やす。

なにより面倒なのが送料計算。
重さを測って計算し、どっちがお得が考えあぐね、箱に収めるよう畳むテトリス。

物を減らしたいのに増える、手間を減らしたいのに増える、それはまるで賽の河原でした。

まぁ通過儀礼というか、それらを経験してこその今ですが。

物やお金を大事にしたかったのだろうけど…

昔、物の処分にフリマを使っていたのは、物やお金を大事にしたい気持ちからでしょうけど、その反面、時間や手間や自分自身を犠牲にしていました。

その犠牲を、倹約する良妻賢母と変換することで頑張っていたのでしょうね、あのころの私は自己犠牲の塊だったから。

たとえ大事にしていたつもりでも、大量の品が目の前を通過していけば個々の価値は軽くなるのが判ります。気に入らなければ売ればいいや、と。というかフリマって、ぶっちゃけ…

不良在庫の沼ですね!

賢く使わないと嵌ってしまう。
目が醒めた今、正直そう思います。

 

今、中古品売買は年に数回ですが、昔より楽しい上に良品に恵まれます。マトモに買ったら何千円するのかな、という品が数百円で手に入ります。

また、安いからといって無碍に扱う訳でもなく、丁寧にメンテナンスできるようになりました。

今の私には一軍しかいないと感じています。美容アイテムが手ぬぐい1枚でも、喪服が1枚でも、私にとって価値あるものが一軍です。

自分に大切な物しかない、今の暮らしが幸せです。