KAJILESS

家事をレスに。

断捨離したら子どもがかわいい件。

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物を減らすことはしんどかったけれど、15年かけて暮らしは変わりました。その中で一番私が変わったことは。

こども達がかわいい

もう中学生ですっかり大人っぽくなって、手の大きさも足のサイズも、息子は背も追い越されましたが、何だかこどもがかわいいです。すごく。

だからってベタベタすることは無いですが、なんかかわいい。

息子を見上げたときに見える、まだ剛毛になりきれてないフワフワした鼻の下の産毛とか、娘が反発したときに上から見える、上くちびるの尖るさまとか、変声期でたまに裏返る声とか、イラついたとき「あーはいはい」とリビングから出ていくところとか、なんかかわいい。

まぁ幼子扱いはしませんがね、かわいい。

朝なり帰宅時なり第一声が「腹減ったー」とか、言わんでいいのに「ちょっとトイレ―」と言っちゃうとことか(まぁこれは夫もなんで我が家の癖ですが)、寝起きに頭グッチャグチャでぼへっとしてるとことか、時間が無くて朝ご飯かっ込みながらそれでも喋りだすところとか、逆にテレビみてフリーズしてるとことか、なんかかわいい。

といっても、もう大人扱いするよう努めてるし、洗濯だ食器洗いだ、ちょこちょこと家事もやってもらってますがね(スイッチ入れるだけだし)。

そんな手伝いも機嫌よく引き受けてくれるのもかわいいし、反発するのもかわいい。

まぁ私も過干渉にならない様に努めていますけどね。

子どもも自室にこもることも多くなったし、私も干渉せず、書斎(という名の納戸)で作業に没頭していると「おかーさーん」と探しに来るのも、なんかかわいい。まぁ大体の用件は「腹減った」ですがね。

あぁかわいい。

 

昔は苦しい子育てだった

とまぁお見苦しいアホっぷりをお見せしましたが、昔のわたしだったら、たぶん全部が苛立ちになっていたと思うんです。

全てが。

なんで起きてこないの、なんですぐ着替えないの、なんでテキパキ食べないの、なんで素直に手伝えないの、なんでいつまでも幼いの、なんで家族団欒しないの、なんでそんな態度なの―

って思っていたかも。

子どもの躾や成績、在り様のすべてが母親のせいとは思っていないけど、「母親としてキチンとしつけなければ」という呪縛がものすごく強かった。介護看護もあって、母親業だけ注力できていない自覚もあったしね。

(しつけガー)と脳内のモブ共が騒々しい。

もちろん子どもは大切だし好きだし、折檻したり怒鳴り散らすわけじゃないけど、今思いかえせば普通に口うるさい母親でした。

片付けにしろ宿題にしろ早起きにしろ、小言だけじゃなく提案や改善もしたけどそれも実らず、口うるさいかと黙っていれば全然しない。で口を出す。

ありがちだけど、どうどう巡りの子育てをしていました。

 

夫の一言が脳内のモブ共を〆る

断捨離しながら自分の気持ちがいつしか整理できていたのか、あるキッカケで突然、子どもに対する思いが変わりました。

寝かしつけで夫と揉めたんですよね。

学校でも早寝早起きって言うし、朝は起きないし体調も心配だし、はよ寝なさいとうるさく言ってました。でもぜんぜん動いてくれなくて。である日、夫とはげしく揉めて「偽善者だ」って言われてしまって。

( ゚Д゚)ガーン

その時は傷ついたし、(お前が言うな的キモチもあって)激しく腹も立ったけど、寝て起きたらなんか(それもそうか)とストーンと腑に落ちました。

偽善の真偽は置いといて、睡眠時間を心配する感情は本物だけど、その中に『早く寝せないと母として躾が』って成分があったのもまた事実なんですよね。きっとそれを見透かされていたのでしょう。

自分でも分っちゃいたのです。(躾ガー)とうるさい脳内のモブ共の存在が。

でも、夫の一言で、モブ共もおとなしくなりました。

 

この「腑に落ちる」という感覚は不思議なもので、意識から態度まで一変するものですね。でも、その前にまず断捨離があって、自分の心を見つめる練習ができていたからこその「腑に落ちる」でした。

それがなかったら、破綻していたと思います。感情に飲み込まれ、(私ばかり頑張っても理解されない)と怒髪冠を衝くか、メソメソ沼に沈むかのどちらかだったと思います。

 

とつぜんの子離れ

そして大きな変化が、子離れができたこと。

これは自分でも確信に近い感覚なのですが、子離れ、です、おそらく。脳内のモブ共がおとなしくなったら、『あ、私は私、子は子だ』って思えたのです。

寝坊して慌てるのも、それで朝食を完食できないのも、朝の活動が蔑ろになるのも、寝不足でヘバるのも、子ども自身の決めたこと。言って判らないなら、経験して学ぶしかない。

朝に晩に声は掛け、食事も準備し促し、心配はするけれど、親としてはそこまでしかできない。責任を負うのは子ども自身、親が代われるわけじゃない。

そんな、頭じゃわかっている当たり前が、腑に落ちたんですよね。

まぁ…腑に落ちて冷静になると同時に、妙に心がヒンヤリと冷めたのもあったり、(じゃ就寝の声掛けは夫に任せましょう)という打算が働いたのもまた事実なんですが。

気が楽になった反面、母親として冷たくなった気がして、当初は戸惑いもありました。

 

子離れしたら子どもがかわいい

就寝の声掛けは(私は力不足ということでイヒヒヒ)夫に甘え、私は一歩引きました。それから徐々に、いらだちを感じることがなくなりました。

むしろかわいい。

冷たい母親になったかと当初は戸惑ったけど、そんなことはなかった。母親の責任や躾、学校での評価など、うるさい脳内のモブ共をすこし断捨離できたら、素の子ども達が見えてきました。

ヘンだけど、子離れしたら子供がかわいい。

幼子扱いする気は毛頭ありませんが、生まれた時のような素朴な気持ちで、今の私より手足が大きい子どもがかわいい、と感じれるようになりました。

案件の就寝時間についても、なんだかあれ以来、子ども達も自分で考えて動いてくれている様だし、と思うとイラつくことも減りました。子ども達も成長し、就寝時間が多少ずれ込むことに寛容になった部分もありますし、責任の一端に夫がいる安心感もできたし。

まぁ未だ部屋は散らかってるし、私が思う早寝早起きとは違うし、スマホも長いこと使ってるし、色々言いたいことはたくさんあります。

もちろんある程度の声掛けはしているし、たまに叱りもしますが、最近は親の怒りや正論より「心配はしてるんだよ」という思いが伝わるのが一番かなと思っています、子どもの負担にならない程度にね。

断捨離の効果は色々ありますが、夫の言葉に気づけたのは大きかった。

なにより素の子どもがかわいい、というか愛しいと心底思えるようになったのが、一番幸せな変化でした。

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