我が脳はアホである。
我が脳はアホである。自覚はまだ無い。
どしてアホなのかとんと見当がつかぬ。
我が脳はアホである
最近やっと気づきました。遅すぎです。
気付いたというか、知ってはいたけど、あらためて自分のことだと腑に落ちた、という方が正しいかな。
そういえばこんな本も。
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藤田先生のご本は、大好きです。講演会に参加したこともありました。
遅まきながら、今気づきました。その時点で気付くべきでした。やっぱり私の脳はアホですね。
「ええで」としか言わない私の脳みそ
脳や作業興奮について調べていたら、こんな感じの文章を見つけました。某掲示板への投稿の様ですが、暴飲か暴食かなんかしてる体内の話。
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肝臓・腎臓・膵臓・ 胃「よせ」
脳「ええで」
内臓「あああああああ!!!」
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こういうの書ける人ってものすごく本当に頭がいいんだろなぁ。本当にその通りだとしみじみ思う。
私の脳みそも、いくら体が悲鳴を上げていても、「ええで」と全てを受け入れます。
今もそう、目が痛くてもネットを続け、指が痛くてもキーボードを叩きつける。食べ過ぎなのに食べ、眠いのに寝ない。
えぇ、意志が弱いんじゃないんです。
全てアホな脳のせいなんです。
文脈もわからない私の脳みそ
「梅干を想像しないで下さい」でよだれを流す、アホな脳みそ。
ヤツは文脈すらつたわらない。「梅干」しか伝わらない。
以前、私は掃除や断捨離をこじらせて「家族に期待しない」病にかかりました。
『期待しちゃ駄目だ、期待しちゃ駄目だ…!』と念じつづけ、10年以上も期待ばかりを脳みそに刷りこんだあげく、期待という名の不満を積み重ねて破綻しました。
アホですねぇ。
【破綻ぶり関連記事】
考えたところで、無駄である
最近は、考えたところでムダだと悟りました。この脳ミソではねぇ…無駄無駄。
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体の言うことを聞いた方が利口な気がする。 作業興奮といわれるヤツ。脳が意志や体をつかさどるのではない。脳のやる気スイッチを入れるのは体のほう。10分動けばやる気が出てくる。よく知られていることだけど、動けない。
でも「私の脳はアホの子だから」と腑に落ちたら、自然と心と体が動くようになりました。
脳みそ「掃除せんでもええ?」
こゝろ「この子をどうぞ何分」
からだ「とりあえずほうき」
10分後
脳みそ「掃除たっのし~♪」
…やっぱアホだ。
子どもとの諍いがなくなった
「勉強しなさい!」「あ~ぁやる気なくした!」
あるあるですね。
作業興奮の話をして、「脳をコントロールするのは体」「別な事を始めるのは心の逃避」「とりあえず体を動かそう」「やり始めるとやる気がでる」「10分だけやってみよう」なんて言ってみたけど、なかなかね。
わかっちゃいるけど動けない。
そりゃそうだ、大人だってそうだもの。
でもいつだったか、「脳は『ええで』しか言わないアホの子らしい」と掲示板の話をしたら、ものすごい勢いで共感していました。
「「わっかる~!!」」
それからですね。
勉強をグズグズ始められないときなど、「脳が『ええで』っていってるよ」というと「まぁね」と動き始めるように。
あぁ、これが「腑に落ちた」ってことなのね、きっと。
腑に落ちる、とはよく言ったもので、頭で考えたり胸で感じたりするよりも、臓腑まで落とし込んで、初めて理解し納得したことになるのでしょうね。
なにより、やる気がないとか意思が弱いとか、自分の在り様を否定されてるわけじゃないこと、脳の性質だから上手く付き合わなきゃ、ってことに気付いてくれたんだと思います。
考えても意味が無い
考えなしに動け、という訳じゃないけれど。
考え込むよりは動いた方が気は楽だし、良かれ悪しかれ結果が出るもんだと気付いたのは大人になってから。もう遅い。
うちの子ども達はたぶん、今、分かりかけているのかもしれない。どうか早めに分ってくれるとうれしいな。それは人生でかなり大きなアドバンテージになると思うから。
「吾輩は猫である」のあの猫だって、放り投げられてからとにかく歩いて、先生の家に辿り着いたのだし。
じゃないと
薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
で終わってしまうものね。