KAJILESS

家事をレスに。

メメント・モリと終活で人生をコンティニュー

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数年前、死ぬかもって思いました。

そこで
メメント・モリと、終活と片付けで
私が人生をコンティニューできた話を。

 

メメント・モリについて

メメント・モリ(羅: memento mori)は
「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」
という意味の警句。(Wikipedia)

【死を想え】が有名かと。

宗教マンガ「聖☆おにいさん」でも。
神は歯の治療を恐れ、死を想われた。

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聖☆おにいさんより

なぜ、死を想うようになったのか

体中が痛くて。

朝、目が覚めたとたんに
痛みで息が止まる日々を
繰り返していたら嫌になるよね。

動き出せば、わりと楽になるので
何とか体を起こす、という日々を
送っていたような。

 

結婚・妊娠と同時に、三世代同居に。
姑が昔から躁うつ病と知らされた上
悪化すれば妊娠中でも親戚に罵られ
長男が難産で大姑が肺がんになって。

長女を生み、姑の鬱は悪化しつづけ、
大姑はがんの上、認知症も併発して
介護で親戚と揉めました。

その後大姑が亡くなり、夫も腎梗塞。

震災で町も学校も職場も水没した上
学校が再開すれば息子が虐めに合い
『津波で死ね』って集団で叩かれて
学校からは人間関係と言われたり。

夫はなかなか学校に来てくれなくて
仕事とスポーツにばかり打ち込んで
家庭よりも外ばかりを優先する様で。

職場でもパワハラっぽいのが続いて
やれ独身女はダメだ、主婦はダメだ、
子持ちはダメだとか言われ。

私も子どもも入院したり手術したり、
諸々が結婚後、押し寄せて。 

 

あれ、振り返ると結構もりだくさん…

 

震災後、気持ちの糸が切れてしまった

地震と津波で町が壊滅した。

目の前の町が瓦礫になってしまって
多くの方が亡くなり、見つからない。

そんな中、
私たちは幸い家も家族も無事だった。
姑の看護や子の虐めが辛いだなんて、
思うことすら許されない状況だった。
(担当に相談したりしたけどさ)

命があってありがたいと思わなければ。
家族が無事でなによりと思わなければ。
家族を亡くした方が殆んどなのだから。
泣き言を言える立場ではなかった。

 

そして
数年がんばったけど、結局ダメだった。

自分の心境も状況も、伝えられない。
不安や不満や批判しか出てこない。
夫との会話も成立しない。
完全に積んだ。

夫を憎み、自分の選択を酷く憎んだ。
自分の愚かさや、力の無さを憎んだ。
人間関係すら作れない自分を憎んだ。
子どもを守れない弱い自分を憎んだ。
震災も何もかも、すべてが憎かった。
憎しみに囚われた結果、体に祟った。

 

朝、目覚めるたび痛みで息が詰まる。

呼吸ができない。

このまま死ぬのかな。

それもアリか、と思ってしまった。

子どもがいるというのに。

 

アラサー女、終活を始める

だもんで、
終活について積極的にリサーチ開始。

前向きなのやら、後ろ向きなのやら…

でも、
断捨離やミニマリズムって、
最終的に死生観に行き着きませんか?
親和性が高いというか。

「在り方を考える」というのは
「消え方を考える」ことに繋がる様で。

物を見極めて分別したり転売したり、
自分で物の最期を決め、葬る。

それらを繰り返すことも、
自分自身の最期を考える練習に
なるのかもしれません。 

 

死を想う、からのコンティニュー

片付けと終活を続けることで
自分を客観視できる様になってきた。

今までは、育児や介護・看護、仕事を
何とかこなし、やり過ごすだけの日々。

自分自身を変えるアクションを
何ひとつ起こせていないことに
なんとなく気付きました。

終活からの就活。

すぐに男女差の少ない職場に転職。

前職の技能を活かせることで、
育ててもらった前の職場にも
すこし感謝出来る様になって。

新しい職場で
痛みの専門医を教えていただき
やっと筋線維痛症と診断されて
何年も続く痛みから解放されて。
さらに
カサンドラ症候群を教えられて
自分の在り様に目が覚めました。

style.nikkei.com

 

アルコール依存も併発してしまった
義母の躁うつ病は、第三者を介して
夫と話すことで、療養出来るように。

最終的には学校が変わったことで
子どもの人間関係も環境も変わり、
学校が楽しいと言ってくれました。

既に日常がハードモードの状態で、
片付けと掃除をひたすら続けつつ
アラサー女が被災地で転職をして
その上、終活は忙しかった。

妙に充実してた。

そして、
少しずつ、少しずつ、痛みと共に
憎しみや恨みが消えていくようで。

だんだん家族が元気になってきて
全てが変わっていきました。

 

今になって想う。

死を想ったあの時から、
私は生きていける様になりました。

 

私の辿り着いたメメント・モリとは

終活で辿り着いた先は、シンプルでした。

ゴミを減らし物を減らし尽くして、
できるだけ遺品整理を楽にさせたいー

お金はないけど、良い物だけでも
できるだけ子どもに遺したいー

手間を掛けずに見送って、
できるだけ早く日常に戻ってほしい-

病気や事故、災害には抗えないけど、
できるだけ子どもの負担を減らしたい-

 

いつか来る死を想うこと。

最後に辿り着いたのは
子どもを想う気持ちでした。

それが今、私の生きる力です。

契約した葬儀社のカードを
携帯電話と共に持ち歩いてます。

 

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これが今、私のお守り代わり。

死を想いつつ、私は生きてます。

 

 

 

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家族を亡くされ、
今も苦しむ方々の痛みが
すこしでも和らぎますよう
お祈り申し上げます。

そして私の母も。

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終活は各葬儀社や検体など、
様々な方法を調べました。

それらについては、また後で。