淘汰77【さらばルンバ】人生も思い出も過去も物も、手放す苦痛は本人しか解らない
今回、私は親のルンバと共に何かを手放し、親への大事な何かを得たのかもしれません。
さらばルンバ
頂き物というけれど、実は買い替えで余った品でして。
バッテリー交換に始まり、壊れては修理し、売ろうと清掃してまた使い…と6年間グダグダ悩み、とうとう壊れて手放したのです。
私は少ない物で暮らしたいけど、気楽にポイポイ捨てれるわけではありません。物に感情をかなり引きずられる人間で、だから悩みながらも意識的に物を減らしているのです。ルンバだって手間ヒマかけたし、廃棄も本当に苦痛でした。
でも、(しなきゃいいのに)親に故障と廃棄を報告したら、残念がられましたとさ…
物に引きずられる様子↓
勿体なくて自縄自縛
良かれと思って譲ってくれた訳ですし、この機会がなければ私は高級家電を使うことは無かったでしょう。
でも、「捨てるか修理か」の2択に始まり、夫に申し訳なく思いつつ手間と金をかけ、それでも沈黙を繰り返すルンバを前に、何度逡巡したことか。
だけど、『震災』で『遠く』に引っ越した『病気』の『老親』から『譲りうけた』もともと『高価』な『高級家電』。これだけのパワーワードが積み重なると…
勿体なくて自縄自縛。
6年、親も含めれば8年近く使っても、廃棄は残念なのでしょう。解るよ、解るけど、私だってこんなに悩んだのに。
残念がるなら自分で修理して使い切って、自分で捨ててよぅ。
そう言いたい。言わないけど。
( ˘•ω•˘ )
親の片付けを手伝ったものの
というのもこの数年、片付けと称して母が送ってくる物を処分していたのです。
震災で引っ越したうえ実母を亡くし、鬱で不眠が続く母。片付けが運動やリハビリ、気分転換になればと思っていました。
いずれの品も保存状態も質も良く、寄付すら勿体なくて悩む日々。私自身がいただいた品もあります。物持ちの良さも良し悪しですね…
荷物が届く頻度も減ってゆき、片付けも一段落かとホッとしていたのですが、久しぶりに帰省して驚きました。
減ってない。
( ゚Д゚)ナゼ
玄関収納は天井までギッシリ、その脇に段ボール。洗剤はむしろ増えている。食器類は特に膨大で、引き出しの開閉もままならない。
かつての実家、一戸建の巨大な飾り戸棚に収めてあった来客用の食器セット数組も、私達の幼児用メラニン皿も。あの布巾は小学生、このプラのクリップもスプーンも中学生の頃には有ったはず…
そしてそれらは清潔に保たれ、未だ使われているのです。私ですら懐かしい物達に囲まれ、そして実感したのです。
これはもう引き際だ、と。
手放す苦痛は本人にしか解らない
片づけには過去にケリをつけたり、自分を見つめ直す力があるかもしれないけれど、自ら「変わりたい」と願うのが前提条件かもしれません。
私が良かれと思っても、親が不便を感じていないなら余計なお世話。まだ若い世代が未来を夢見て片付けるのと違い、親世代は老い支度、ひいては自身の人生の終焉の準備なのだから。
親が物を手放すのがどんなに苦痛か、私には解りえません。
私がルンバを手放す苦痛を語っても、親には伝わらないように。
人生も思い出も過去も物も、手放す苦痛は本人にしか解らない。
それを肌で実感したのです。
これはもう引き際だ
これはもう引き際だ。片付けて「暮らしやすく」とか「元気に」と願うのは、もう止めよう。
母は、自分の服は手放せても、子どもの食器は手放せない人なのです。
昔から、色んな洗剤で掃除や洗濯をするのが習慣になっているのです。
懐かしい物達をキレイに手入れしているのです、量は多すぎるけれど。
懐かしい品々に囲まれ、それが温かみや安らぎを与えてくれるなら。私の願いなど傲慢で負担なだけだ。
転倒の危険を考えれば片付けたいけど、足腰の鍛錬にはなるかもしれないし…?
心配で仕方がないけれど、とりあえず一旦引こう。
そう思ったのです。
寄り添い方を変えるとき
先日、久しぶりに荷物が届きました。カードのポイントで交換した立派な品で、一度だけ使ってみたそうで。
裕福ってわけじゃないのに…
ポイントは金券に交換したら…
そちらで換金したらいいのに…
送料だって勿体ないのに…
色々言いたくなるけれど。
でも、当然そんなことは承知の上で、それでも選んで使っての非日常を楽しんで、ワクワクのお裾分けを贈ってくれるのです。送料をかけてまで。
「ありがとう」
きっと、この言葉だけが正解なのだろう。
なぜ今まで、こんな気持ちで受け止められなかったのだろう…
「勿体ない」と思う気持ちはもしかして、全てを否定してしまうのかな。
今回の淘汰。私は親のルンバと共に何かを手放し、そして親への大事な何かを得たのかもしれません。
まず意見をするのは止めて、感謝だけを伝えよう。
文句を言いつつ、直に触れ合えたのは過去のこと。
遠く離れ、今は言葉でしか寄り添えないのだから。
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2019抱負【本が読めれば本望】全てはのほほん暮らしのために。面倒を減らして楽する本5選。
すっかり明けましておめでとうございました。
今年も手抜き息抜き、ズボラ道を極める所存です。
この期に及んで何ですが、宜しくお願いいたします。
至福の4か月でございました
昨年末より、「本好きの下剋上」にハマりまして。
んで、その後「QED」シリーズにハマりまして。
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ブログ停滞してすみません。
でも至福でした(*´Д`)
現実は色々あっても、精神的に満ち足りた4か月。もっと本を読んでいたいと欲が出たのです。本の主人公のように『自分の立場に付随する最低限の義務をこなし』、物と面倒は極力減らし、もっと読書できる様に自分を変えたいな、と。
今年は本が読めれば本望
自分を変えるには、強い意志とか努力が必要と言われますが、どーにも私にはムリっぽい。しかし物が減り環境が変わるにつれ、自身の変化を実感しました。ブチ切れて捨てまくっただけなのに。
環境や気付きでも、人は変わる。
それに気付いた今年は、ひたすら頑張るのではなく、「のほほん暮らし」という目標のために環境を変え、気付きを得たいと思います。その気付きのために読書するという、一石二鳥を企んでおります。
全てはのほほん暮らしのために
1,家事の「めんどい」を淘汰する
物を減らすことは環境を変え、家事の煩わしさも軽減します。でも物を無くすことに依存してはいけませんね。
断捨離の後、物足りない私はゴミ袋を手に家を徘徊し、家族に嫌がられました(そりゃそうだ)。そこで物ではなく自分の不便の解消にシフトし、料理や洗濯の手順を変えることに。すると、物がさらに減りました。
不便や面倒を無くせば、家事も物も淘汰できる。私たちは死ぬまで家事から逃げられません。工夫して回避して、身軽に家事をこなしたい。
でもどこかで、罪悪感が付きまとう…
そんな、家事の呪いを減らしてくれる一冊がこちらでした。
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2,介護の「しんどい」を軽減する
家事もですが、育児介護からも逃れられません。
育児なら頑張れるし、節目節目で子離れのタイミングもあるけれど…終わりのない介護は難しい。まだ若く世間知らずで看護介護に失敗し、体を壊した私としては、もうあんな軋轢は避けたいのです。
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こちらの本は失敗談も含めて誠実に書いてあり、在宅介護サービスの金額など現実的な記述も多く、勉強になりました。が…
これは書評ではなく私の弱さからの発露ですが、在宅ケアはやっぱ怖いです。
だって大前提が「家族や親戚との円滑な関係の構築」だもん。じゃないとめでたくなくなるよ。私はその人間関係が怖いんですよ…
婚後産後で至らなかったし頑張ったつもりだけど、義母と義祖母の看護介護で責められてみじめだったし、今も人が怖い。これは未だ断捨離できないなぁ。
終わりの見えない介護の中、人間関係なんて簡単に疲弊し悪化する。
さらに夫や義親の場合は「病院でもダメだった」という「太鼓判」がないと、その後が怖い…肉親ならともかく。
家族や親族より、行政などの第三者と協力する方が良いんだろうね…(諦観)
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こちらの本も有名ですね。
様々な悩みを抱えるボランティアを、著者が丁寧に追いかける。 読み進めるうち、介助する者される者、健常者と障碍者の境目が分らなくなってゆく。そこにあるのは聖人達ではなく、身近な若者達の赤裸々な姿。
どうしても神聖化しつつ敬遠される介護福祉。その実態を、煩わしさも重さも、性も便臭もあらわに「誰にでも起こりうる」日常に落とし込んだ記録文学、そう感じました。
反面、家族じゃないからこそ、ぶつかり合い、時に通じ合えたのかも…
映画化されましたが、エモーショナルな感動巨編だったら、と思うと観るのをためらいますね…淡々とした描写こそがこの本の真骨頂だと思うから。
介護関連の本って、家族・特に嫁や娘の献身が多く、神聖化された印象が強いです。只中にある方には道標となるのでしょうけど、私は正直、反発を感じてしまう。
でも上記は他の著書に比べ、スッと読むことができました。情報を得たり視野を広げるのに良いかもしれません。
3,自分の「めんどさ」を克服する
もういい歳ですが、もうちょい健康で賢くなりたいし、自信もほしいし、なにより面倒を回避したいのです。
上記のように、グダグダ考えるのを止めたいワケですな。ストレスを自分自身で作っては不眠になったり、面倒を引き寄せているのだから。
解ってます、でも止まらないのです。
というわけでこちらの本。
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「考え方のクセを直す」という言葉で周知されつつある、認知行動療法。
禅や仏教・引き寄せなど、色々な側面から噛み砕いた書籍が出ていますが、どーにも宗教ぽいと「気合で何とか」って感じで苦手。
でも、この本はスッと読めました。ストレスの正体を科学的に説明した上で、セルフケアやコミュニケーション術について述べ、最後は不眠やうつ・パニック障害・肩こりまで、心の病も幅広く取り上げてます。行動認知療法の入門書かも。
最後はコレ。
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グダグダ考えず筋トレ。で、寝る。
コレ最強かも。
というわけで2019抱負「目指せのほほん暮らし」は、気付きを得るため読書し、環境を変えるべく淘汰を進める、でした。情報過多にならない様、それらの淘汰も進めつつ。
淘汰76【現金至上主義】クレジットカード・電子マネー・ショップカードを諦める…ポイントを貯めないとお金が貯まる!
信ずべきものは金(と筋肉)。
電子マネーやら何やらの財テクをやめたら貯蓄が加速しました。
今回はポイントを諦めた話。
- ソフトバンク通信障害とおサイフケータイ
- クレカはガソリン専用、nanacoは都度チャージ
- ポイントを貯めないとお金が貯まりだす
- 断捨離して掃除したら意識が変わった
- まずは現金管理から
- ポイント稼ぎはプロのお仕事
ソフトバンク通信障害とおサイフケータイ
ソフトバンクの通信障害がニュースとなっています。
そんな中、1日気付かずに過ごした原始人の私。素朴な疑問なのですが、あの時おサイフケータイってどうでした?非常時の際にどうなるんですかね…?
ミニマリスト御用達の電子マネー、諸外国では当たり前、suicaだって何だってケータイ1つで済み、クレジットカードと連携してポイントざくざく…時流でもあり経済効果もン億円。
便利なのは承知です。
しかし震災で通信の断絶を経験し、どうにも携帯に諸々を託す気がおきず…未だおサイフケータイは使っておりません。いつかはと思いつつ、このまま一生を終える気がします。
クレカはガソリン専用、nanacoは都度チャージ
ネットしてると、財テクの広告が目に入ります。
株や不動産売買にFX、クラウドソーシングにプチ稼ぎアプリ、こっちのポイントサイト経由で買い物するとポイント倍とか…私も調べ、利用しました。でも活用できなかった。
そういや私は脳ミソもミニマリスト。
いっそ懐もミニマムにすべきでは(覚醒)
そして今、財布の中にあるカードは「クレジットカード・nanaco・100円ショップ」の3枚だけ。
あらゆる口座にポイントサイト・オンラインサイトを解約し、不要アプリ類は全て消去。個々の店のポイントカードも全処分。クレカはガソリンの給油専用、楽天市場での買い物は夫と相談。
nanacoはスーパーで使いますが、必要な額をチャージして残高が残らない様にしています。100円ショップはスーパー内にあり、掃除シートの御用達店。シートを50個買えば、ポイントでさらに5個貰えるのです。
( ゚Д゚)オトク!
心底、私は管理したくないのです。ポイント集めは100均とnanacoだけ。
稀にしか利用しない楽天のポイントは買う都度に使い切り、店舗のカードは基本的に貰いません。要らないな、と思ったら見切りをつけて捨ててしまいます。
あらゆる口座もアプリも淘汰して、頭も気持ちも軽くなりました。
ポイントを貯めないとお金が貯まりだす
それから、お金が溜まり出しました。
そりゃそうだ、買わないもん。
現金でお支払いするって重いです。ポイントや電子マネー、クレカに無い実感がありますね。私が現金に重きを置いているからでしょうけど。
ポイント活用やカード連携などの細々したテクニックって、購買意欲を掻き立てるだけに思います。買い物してポイント貯めて、どうせそれをタネ銭に何か買っちゃうし。ご褒美とか言ってさ。
そもそも買い物すらせず、ポイントも溜まらずに放置も多いし。
ポイントサービスの活用って、とてもマメで、よほど賢くて、すごく意志が強くて、そもそも金銭的余裕がないと難しいんじゃ…少なくとも私にゃ無理。
まぁ20年前に気付けって話ですが。
断捨離して掃除したら意識が変わった
物を淘汰しつくし、掃除しまくったら意識が変わったのです。これって、掃除や断捨離、ダイエットや勉強と同じに思えます。
痩せる栄養が何倍の、カロリー何%オフだの食べる前に、まず動けと。断捨離法がどうの、収納家具がどうのと調べる前に、まず捨てろと。あの洗剤、この掃除グッズと物を増やす前に、まず拭けと。あっちの塾、こっちの参考書と言う前に、まず教科書を開けと。
つまりポイント何倍とか連動でザクザク…の前に、まず買うなと。金を貯めろよと。
ポイントも参考書も洗剤も、全て補助でしかない。
それなのに、絵空事で勝手に期待しすぎてしまう。
財テクだって、FXなどの大きなものから小遣い稼ぎまで、全てはまともに金銭管理してからじゃないのかな。
まずは現金管理から
現金すらマトモに管理できないのに、電子マネーやクレカの活用なんて無謀。
そう諦めたらお金が貯まりだしました。
家計簿も諦め気味だけど…
とはいえ、いつかは本当の財テクをしたいものです。
今、ロボアドバイザーという、資産運用をアドバイスしてくれるサービスが投資初心者に人気です。いずれ検討するかもしれませんが、まずは現金管理を満足できるレベルまで上げてからかな…
今の管理も悪くないですが、もう少し洗練させたいものです。
ポイント稼ぎはプロのお仕事
いずれと思いつつも、投資には及び腰。むかし読んだ本で、印象的な記述がありまして。
『月曜日に下がり、金曜日に上がる株がある。1か月分の資金があるがどうするか』という問いに『月曜日に買い週末に売り抜けろ』と言う業者が多すぎると。
『実際は1週目に半分以上の金と人が消え、2週目また半分以上が消え…そして4週目まで残る者は、そういない。それが投資だ』と。
( ゚Д゚)…
あ~私、1週目で消滅するわ…
若い時に多少勉強はしたけれど、この一文で綺麗サッパリ諦めました。
そもそも堅実に稼ぐには手数料商売だしね…システムこそが強く、システムを作った者が強い。コツコツ稼ぐ者が強く、賭場と胴元こそが強い。それ以上の強者しか賭場荒しはできないよね。
ポイント稼ぎはプロの仕事じゃないのかな。
まずは現金の管理と貯蓄。これを自分が満足するレベルまで引き上げるまで、ポイントや電子マネー、仮想通貨は封印しています。
まぁ…私がおサイフケータイを使えない最大の理由は、すぐ携帯を置き忘れるからですけどね…
淘汰された100の物たち75【家計簿が訳わからん】小口現金で会社を経営できる訳がないし。
家計簿が未だわからん40代です。
義務教育で知りたかったよ…
( ゚Д゚)モーダメ
- 家計簿ってOJTで何とかなるもん?
- ボタンより家計簿の付け方を学ばせて
- 性愛や育児と同じではなかろうか
- 家計簿は主婦の嗜み?
- 私は永遠に仕訳できないと思う
- 家計簿、廃止しました
- 子どもに金銭教育をしたいけれど
家計簿ってOJTで何とかなるもん?
家計簿を見ると目まいがします。書店のコーナーとかもう、あの独自の空気感が…仕事で数字を扱っているくせに、家計簿は蕁麻疹。子どもの頃は嗤って見てたけど、今はハクション大魔王の気持ちが良く解る。
学校で家計の基礎を教えて欲しかったです。
生活水準で差が出るから難しいだろうけど。
つまりスタンダードにできない分野なのでしょうね。個々の生活環境や構成、時期で全く違ってくるのだから。そして学ぶことなく大人になっておきながら、主婦なら自動的にデキるという空気感がホント嫌。
ボタンより家計簿の付け方を学ばせて
何ていうのかな。
例えば恋愛って、男女の関わり方など学ぶこと無く自然に始まり、OJTで肉体関係まで結んじゃう。知識の無いまま始まる実地演習でも、繰り返すことで多くの方が成就します。本能でもあるからでしょう。
でも実地演習は諸刃の剣。
経験を積めば積むほど、エイズなどの性病や望まぬ妊娠の危険に晒されます。騙されたりDV・共依存の被害に合う確率も上がる。かといって初恋の人と結ばれるのが正解とは言えないし。
そんなこと、学校では教えにくい。だから最近は、外部講師を招いて性教育の講話がなされます。ディープに教えてくださる上、身近な教師や肉親と違うから、生徒もきちんと聞くそうで。
そんな感じで、家計管理も勉強でれたら有難いんだけどなぁ…私なんかじゃ力不足で、子ども達に教えるのは難しい。
性愛や育児と同じではなかろうか
丸投げしたい訳じゃない、伝えられることは伝えたい。でもこれって、第三者のプロの言葉の方が伝わるケースじゃないのかな、性教育みたいに。
生きるのに必要で大切なのに、キレイなのか汚いのか分からない。羨み妬むほど美しく豊かなのに、絶望し、時に死ぬほど残酷で穢らわしい。
お金も性も愛も、未だにさっぱり判らない。出産も教育も、どれだけ掛かるか検討もつかない。もし学生当時に少しでも知ってたら、勉学や将来への姿勢も違ったかもしれないなぁ…
かといって、いま親の立場で子どもに教えたら恩着せがましいし。ヘタに気を遣わせたくないし、進路のジャマになったら困るし、子どもには自由であって欲しいよね。
かといって無知も恐ろしい。
家計簿の仕訳やエンゲル係数、入試手数料や手付金…そういう枝葉の数字じゃなくて、夫婦一緒に育てるものだと、早くに知りたかった。
性や育児はそうなりつつあるけれど、家計管理も貯蓄も、本来は家族で協力するものじゃないのかな。男女ともに、愛情とともに。
家計簿は主婦の嗜み?
主婦の嗜みであり、これが万全なら家計も安泰!という印象の家計簿。でも実際は家計管理の一端ですよね。私は小口現金だと思ってる。
細かいお金を疎かにするつもりは無いけれど、小口現金出納帳が完璧だから経営も完璧とはいかないよね。それどころか、時代は小口現金の縮小や廃止に進んでいます。面倒なうえ、出納帳を完璧に付けたところで補助簿でしかない。
私が苦手だからイロイロ屁理屈言っているのは自覚してるけど。どんなに生活費を切り詰めたところで、ローンや固定費が多ければ貯蓄できないもん。
家計簿って、補助簿でダメなん?
私は永遠に仕訳できないと思う
ずっと家計簿をジプシーしては頑張ったけど、ダメだった。
たとえ家計を仕訳しても、子どもが増え、大人が減り…育児に病気に介護と刻々と状況が変化する。都度見直しが必要なうえ基準も判らず、正解も判らず、管理できず凹んでました。
でも今思えば、倒産の危機に小口現金で対応できるワケないよね。
仕訳って、予算取り前提の思想に感じます、それも経営が健全という前提の。上手に運用できれば良いのでしょうが、私にはムリでした。
家計簿、廃止しました
そして今は、安定の袋分け。
これすらかなり失敗しました。月〆ではスパンが長くて息切れし、給料日〆は夫の分と2回あって混乱し、週〆にすれば月をまたぐときに錯乱する。
( ゚Д゚)モーダメ
今は5日〆にし、生活費に8千円、予備2千円で実験中。
節約は、あらゆる仕訳を生活費に押し込む力技で。日用品も買い食いも、文具や集金などの細かなものは押し込んじゃう。中古のコートすら300円なら生活費。口紅も276円なら生活費。
逆に、靴下でも千円を超えれば大物扱い。あらかじめ2万円をプールして大物費と医療費に充て、金額の張るものは生活費か大物費か熟考します。
たぶん家計って、ずーっと悩み続け、試行錯誤し続けるものなんでしょうね。悩まずに使える財力が欲しい…(あと筋肉も)
4月から一人進学するので見直しが必要ですが、今までのように仕訳だなんだ悩まずに「5日分の必要額がどれだけ変わるか」と実験できそうなので、その点では気が楽です。
子どもに金銭教育をしたいけれど
これだけ悩んだもの、子ども達もはお金について早めに知ってほしい。けれど。
今はスーパーにすら、カジノ顔負けのゲームが充実しています。どうしても多少は子ども達を遊ばせてしまうよね、小さい頃なんて特に。
そして、お金のイロハも分からぬ頃から、英語みたいに自然と身につく。身近に楽しみつつ、賭け事を覚えてゆく。これが私たちの金銭教育の実態かもしれません。
家計どころかお金すら未知のままに、ギャンブルばかりを早期教育しているという。
淘汰された100の物たち74個目【作り置きをあきらめる】平日するか、週末するかのチョイスでしかないと思うのです。
以前、作り置きを諦めました。
冷蔵庫にタッパーで保存すると、いつまで持つ?食べられる?って不安で不安で。
今は、職場の帰り道に夕食の食材を買い、ご飯を早炊きする30分で作ります。面倒なうえ出費も増える…ハズが、私の場合は手間も食費も減りました。
( ゚Д゚)ナゼ
とにかく管理したくない
私は心底メンテナンスが嫌なのです。管理という管理をしたくないのです。ネバー管理。ノーモア管理。
掃除もめんどい、掃除道具のメンテもめんどい。断捨離だって、管理したくないから続けてるようなもの。
キッチンを清潔にするため、ひたすら物を減らす。三角コーナー、食器カゴ、オイルポットにタッパーなど、管理のめんどいものはことごとく淘汰。油も再利用せずに使い切る。
こういう人間にとって食品管理は、一番の鬼門なのです。
不安症に作り置きはハードル高い
何より、自分を信用できないというか、不安症というか…
自分で調理しておきながら信頼できないのです。1週間は持つレシピでも、速攻で使い切るから意味が無い。
もちろん小分け冷凍や下味冷凍はするし、何かしら多めに茹でたり、スープの使い回しもしています。でも冷凍以外は、翌日に使い切りたい。
食品の下に溜まる汁が不安。キッチンペーパーを下に敷くと、その変色が不安。あとタッパーの変色も不安だし、タッパーの水切れの悪さもフタのミゾも不安…
大丈夫なハズと自分に言い聞かせつつ、匂いを嗅いでしまう。ダメなんです、自分が信用できんのです。
不安ばかりがつのって疲れてしまい…作り置きをいったん諦めました。
匂いって本能だから
うどんの薬味に、青海苔を混ぜた自家製揚げ玉を作ったとき。
思いがけず、揚げたての香ばしさと青のりの風味が美味しくて感動しました。次回のお楽しみに残りを冷凍し、数日後に食べたら
( ゚Д゚)アレ
青海苔の香りは消滅し、あるのは劣化した油のニオイ。期待しすぎたとはいえ、新品の油で揚げ、しっかり油切りしたのに…数日で劣化する事実に驚きました。
また、とある売店で何か買った時、子ども達にポップコーンがサービスされたことがありました。喜んで貰ったものの食べたがらないので、1個ためしに口にしたら
(꒪ཀ꒪)フゴォ
劣化どころか廃油味。
ポップコーンは家で作っていたのです、安いから。だから余計に匂いを感じるのだろうけど、アレはちょっと…幼い子供たちには食べさせられなかった。
ニオイって本能だから、理屈が通らない。食べれないと感じたらもうダメでした。
めんどい系ミニマリストの炊事事情
そんな訳で、冷食も惣菜も使うし、コンビニの揚げ物も買うしで普通のつもりだったけど…どうしても作り置きや油の匂いが苦手。
今のところ、私が一番楽な炊事は、毎日する、です。
職場での昼休みにメニューや必需品を書き出し、仕事上がりに食材を買い足して帰ります。買い物は1日おき、所要時間は15分以内が目安にしています。
家に付いたら炊飯器をセットし、炊きあがる30分間で調理と片付け、朝食の下準備を済ませます。食後は食器だけ食洗機に入れれば終了、が理想かな。
メニューは煮浸し&焼き魚とか、ポークチョップ&湯で野菜とか。副菜は付けたり付けなかったり、納豆や漬物だったり適当かもしれません。
煮物や揚げ物・煮込み料理など、時間がかかるメニューは休日にしています。
時間のロスも食材のロスもほとんど無いので、時短なうえ食費も減りました。給食があって残業が無いから出来るんだけど。
平日するか、週末まとめるか
結局作り置きって、掃除や洗濯と同じだと思います。
平日1時間するか、週末に5時間まとめるか。
チョイスでしかない。
私の場合、掃除は日々の作業。逆に洗濯は、休日まとめてYシャツや大物を洗います。そして炊事は…掃除のように日々の作業が合うみたい。
作り置きって『賢く簡単、栄養豊富で品数豊か、そして何より経済的』という印象があります。上手に管理し運用すれば、叶うのでしょう。
でも、出来ない私は勝手に母親失格の気分になって、疲れちゃった。
チョイスでしかなかったのに。
まぁ、頑張りすぎたのでしょうね。普段の調理に多少取り入れれば良いだけの「テクニック」だったはずなのに、私は良妻賢母を頑張って、疲れちゃった。
食品が痛んでいたら、ちゃんと管理できなかったら…って心配で疲れちゃった。匂いを嗅ぎまわって疲れちゃった。
あの頃は介護看護が重なりしんどかったし、私自身も若く幼い子供もいたので、色々と過敏だったのでしょう。年をとった今、そう思います。
来年度から子どもの弁当が始まるので、やはり作り置きも必要かしら。小鉢や副菜など、1品あると楽だしね。
肩の力の抜けた今なら、作り置きの良さを再発見できるかも。難しいコト考えず、家計や管理の負担にならない範囲で取り入れられれば、と思います。
まぁ冷食を多用したくないんだよね。高いから
( ゚Д゚)キツイッス
淘汰された100の物たち73【新品信仰】図書館の女神とリサイクルの神を信じてる。
新品にこだわらなくなりました。
稀に行くリサイクルショップでは、いつも良い品にばかり恵まれます。あと図書館も大好き。ふと気になって手にした本は、なぜか何かしらの気付きをいただきます。
私には、本の女神とリサイクル神の御加護があると信じてる。
ブランド品や新品のほうが良い物もある
もちろん、全てを安物や中古でまかなっている訳ではありません。
そこまで中古品や破格品に固執しないし、逆に新品やブランドにこだわらない。自分に見合った品と価格であればいいんでない?
でも、安物はダメかな、って思う品もあります。特に感じたのはクレヨンやクーピー、色ペンなどの文房具。
全然色がのらないくて、子ども達も力を入れるので折れたりペン先を潰してしまい、結局買い直して割高になりました。当然ですが、メーカー品は色のノリが違います。
逆に、定規は高かろうが安かろうがスグに折るので、100均さんが有難い。品や状況にあわせて使い分けています。
ネットフリマへの疑問
かつてはネットフリマを彷徨い、リサイクルショップで服の山を堀り、着古した服で段ボールの山をつくっておりました。
なんか、必死だった。
しかし家から物が消えてゆくにつれ、徐々に醒めました。フリマをする目的がいつのまにかすり替わっていたことに、気がついたから。
物と向き合い、その結果フリマを選択したのではなく、賢く売買をしていると思いたかっただけだったから。
相手を見ず、恋を楽しむアバンチュールに近いものを感じたんです。
もちろん、真摯に賢く売買をしている方も大勢いるのは解ります。
でも私はそうじゃなかったかもしれません。売買を娯楽にしつつも、倹約する良妻賢母だと思いたかったのかな…と。
真摯に相手と向き合わず、男を渡り歩いては恋に賢いイイ女ぶるみたいに。
リサイクル神の御加護
醒めた今、リサイクルショップの利用は年数回。でも不思議なことに、それから良い品に巡り合えるようになりました。
コートやブラウス、家電など、必要なものを目的に店に行く。するとその品がちゃんとある。サイズも合う。
そして何故か、新古品があるのです。家電は箱に入って投げ売りされ、コートはその1着だけタグがついたまま、300円の林の中に埋もれている。何時間も探し回るわけじゃない、数分で出会えるのです。
お支払いの時、私は本気でリサイクルの神に感謝します(あと店員さんにも)。今日もまた神がおわした、御加護をいただいた…と。
そして、家に帰ってからタグに9,800円と表示してあることに気付き、あらためて感謝をささげるのです。
中古品に難はあるのか
そんな私ですが、リアルでは中古品売買を語りません、生理的にダメな方もいるもんね。ネットにも『中古品の浄化方法』などの情報があるし、私も思うところが何一つないとは言いません。
でも…
だったら寮や賃貸には住めなくなる。アンティークやお下がりや遺品は穢れなの…?
図書館なんて、悩み苦しみ生み出した何千年分の故人の著書を、無料で使いまわす呪いの館になってしまう。
図書館に限らず、博物館も美術館も略奪と征服の成果だし、歴史的名所=大方が怨嗟の地だし。でも、それらは大体「ロマン」で済む。
一生持ち家に住み、新車しか買わず、図書館も古本も利用しない、歴史的名所も苦手、というならともかく…
古本や賃貸、中古車や古典や名所は平気で、中古の品だけ怖がるのは、どうかなぁって感じます。
まぁなんか、中古品て生々しく感じるかもね。しょせん上記も屁理屈だし、ムリなものはムリだよね。
どうしても苦手だとか、過去にイヤな思いをしたのなら、新品を買うべきだと思います、その方が大切にできるもの。
また、中古品だけど気に入って、でも気になるって場合も、掃除洗濯すれば大丈夫じゃないのかな…
物と向き合い淘汰して、罪悪感で苦しんて消化した今、感じるのです。物は仕返しなんてしないんじゃないのかな…って。
それは天からの贈り物
Yesterday is History,
Tomorrow is a Mystery,
but Today is a Gift.
That is why it is called the PRESENT.
昨日とは過去のもの。
明日とは未知のもの。
今日の日はもうけもの。
それは天からの贈りもの。
これは歴史家アリス・モース・アールの言葉で、ルーズベルト大統領夫人が引用し有名になったそう(私はカンフーパンダで知りました)。
本と品物に関して、いま私はこれと似た思いを感じます。多くを望まず、大切なものだけ見据えていれば、必要なときに何かしらの天啓があると。
過去に固執せず、未来を心配せず、今はただ、この与えられた贈り物を安心して得、何かしら感銘を得ることが出来る。そんな確信めいた何か。
これは淘汰の果てに得た、不思議な感覚でした。
自分の在り方や人との関わりについても、いつか達観したいものですね…
とはいえ、自分や人を淘汰する訳にもいかないし。
どうしたもんでしょうね(;´Д`)
淘汰された100の物たち72【配置薬を返納】業者も医師も薬剤師も国も、患者に薬を与えるだけ与え、家族に管理を押しつける。
医師も国すらも、薬を管理できていない現状。
それなのに、患者や家族にばかり賢くあれと言われても…
配置薬や多剤併用のすべてに問題があるわけではありません。配置薬は心強いし、私たちも問題意識は必要です。
しかし薬を出すだけ出して、弱った患者や家族に運用を期待するのはマズイでしょ?
せめて多剤併用の害がCMで流れれば良いのにね…
薬は主食ではありません
嫁ぎ先には配置薬が2箱ありました。2社と契約し、義母が鎮痛剤を多用してはかなりの額を支払っていたのです。これでは危険(体も懐も)。
数年をかけ、やっと業者に返納することができました。
まぁ年配の方ならよくあることです。しかし義母の飲む量は多すぎた。週に何度も通院し、各病院で処方された薬を飲むうえ、配置薬も常用していたのです。
嫁の私がヤイヤイ言ったところで、天下のお医者様にゃ勝てません。あっちの内科医、こっちの心療内科医、眼科に耳鼻科に整形外科医の薬まで。
というか、整形外科に診察した足のむくみは、きっと薬の飲みすぎだよ…
なのに、重ねて処方された利尿剤を飲んでお茶飲んで、不眠の頭痛で鎮痛剤を飲んで、さらに頭痛になるのです。
( ゚Д゚)
私に一体どうしろっていうのさ…
残薬が年間874,400,000,000円
ポリファーマシー。それは多剤服用。
それに伴う残薬(飲み残し)も大きな問題です。以前はさかんに報道されたけど、最近は静かです。しかし今も、多剤服用は全国で起こっている問題です。
その数字がこちら↓
調剤医療費の増額化は著しく、2009年度時点では5兆8,695億円だったのに対して2015年度には7兆8,746円となり、ここ6年のうちに2兆円近くも増えたことになります。(みんなの介護より)
ジェネリックが浸透しても2兆円。
そして過剰配給による残薬(飲み残し)は↓
年間約8744億円の残薬薬剤費の可能性があると推計(医療保険財政への残薬の影響とその解消方策に関する研究(中間報告)より)
( ゚Д゚)¥874,400,000,000...
実際は100億円からと幅があり、複数の計算者に依るのであくまで推計。なおかつ27年の中間報告ですが、厚生労働科学特別研究だそうです(厚生労働省かと思ったけど違うの?)にしたって百億。埋蔵金です。
そして今年5月、厚生労働省より「高齢者の医薬品適正使用の指針(総論編)について」が各都道府県に通知発出されました。
でも、周知されているとは感じません。CMでも過剰に流せば、一瞬で私たちを洗脳できるのにね。今、流れているCMは風邪薬ばかりです。
薬でボケた祖母、介護する母の苦悩
義母の鎮痛剤依存で困っていたころ、実家では祖母の認知症が悪化していました。
頻尿や誤飲、ふらつきや嚥下障害…
食べ物を何度も喉に詰まらせて苦しみ、しょっちゅう転んで起き上がれない。オムツを嫌ってトイレもベッドもお風呂も汚し、情緒も安定せず、幼児返りしてゆく。
介護する母にも、大きな負担が強いられます。
毎日のトイレ掃除に風呂掃除、大量の洗濯物。起き上がるのを介助して腰を痛め、夜は祖母の起きる気配を探りつづけて不眠となる。ガンを抱えながら。
そんな日が2年ほど続いた、とある日。
検診に引っ掛かったか医者か指針が変わったか、何かの拍子に薬が減ったとたん、症状が消えて昔の祖母に戻りました。
原因は睡眠導入剤でした。
母は、祖母の体調にも薬にも無頓着ではありませんでした。むしろ真剣に、医師に祖母の症状を訴えていたのです。
それが仇となり、薬がどんどん強くなり、増やされた結果の認知症。
でも、こんなケースは「たまたま体質に合わなかった」で済まされます。
患者や家族がいくら努力したところで、報われることはありません。
祖母の介護から解放された今も、母は不眠が続いています。しかし、いまだに睡眠導入剤を飲むことができず、苦しんでいるのです。
患者や家族に賢くあれと言われても
私は、安易に子どもに薬を飲ませたくありません。発熱や咳が続けば受診し処方していただきます。市販薬で買ったものは、遠足のときの酔い止め程度。
薬は命に関わるからこそ、怖れなければ。
効くからこそ、プロに処方して貰わねば。
飲み忘れたら、勿体ながらず処分せねば。
もし余ったら、薬剤師に申告しなければ。
なにより薬を大切にして、飲みきらねば。
そう考えています。
衰え病気になれば、薬は必要です。新薬は難病の方の生きる希望となります。私も薬を飲みます。先日は帯状疱疹の新薬に助けられました。
薬が悪いわけじゃない、解ってはいるけれど。
私は薬が怖いです。
祖母や義母を見てきたから。
私も母も、それで苦しい思いをしたから。
義母のような依存も怖いし、医者の処方だと言われれば何も言えない。しかし従ったとしても、祖母のように壊れることもある。
それなのに、患者や家族が賢くあれと言われても…
お薬手帳を持ち、ちゃんと飲み、残薬を管理して…
それ以外、私達に一体なにができるというの?
私たちは家族を守りきれませんでした。家族が止めても薬は社会に溢れ、常に与えられる。
医師も業者も薬剤師も国すらも管理できないものを、患者や家族に管理させるなんて、無謀なことではないでしょうか。
多剤服用は日本国の現代病
「勿体ない」という日本人の美意識だったものが、今の日本を蝕んでいます。その最たるものが残薬だと、私は考えます。
薬の過剰配給は、これまでの日本を潤しました。しかし今、財政圧迫という重篤な副作用が出ています。
このまま薬を投与すれば、人の様にアレルギーになったり、アナフィラキシーショックを起こすかも。
いや、もう遅いのか…
薬を増やし、寝たきり老人を増やし、介護者を増やし…病院を、介護施設を、介護保険を増やし、残薬を垂れ流して税金を増やす。
既に日本は、我が身を思って我が身を攻撃する、免疫不全に陥っているのかもしれません。
呟いてます。
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