淘汰された100の物たち63~71【少しだけ変える】家族で使えるオープンキッチン!小物は減らしてメンテナンスフリーに
家電を買い増ししなくとも、本当に小さなことでキッチンは変わります。
私はメンテナンスを排除し、とても楽になりました。 小さな変更で大きな効果が出たキッチンのアイデアを8つ、紹介します。
ピザソースとドレッシングがご馳走に
ドレッシングやピザソースなどの調味料類。頻繁に使う訳でもなし、増殖するし使い切れない。ビンを洗って捨てるのも面倒だし、冷蔵庫も散らかるので困っていました。
かといって作るのもなぁ…
計ったり混ぜたりも面倒だし、目盛りが付いているドレッシングボトルを買うほどサラダを食べるわけでも無いし、油っこくて洗いにくそうだし…
でもある日、はたと思いました。
そもそも、わざわざ作るものだろうか。
煮物もお浸しも目分量、ナムルだって塩とゴマ油で合えるだけ。ドレッシングもいっそ目分量で良いのでは。
なぜ、忠実に計量し、攪拌しなきゃと思っていたんだろ?
それからは、お浸しやナムルと同じ方式にしています。油と酢を回しかけ、塩コショウで味をととのえ、合えるだけ。
一応は調べましたが、酢と油の比率に明確なルールは無いみたい。1対2だったり1対3、1対4と、サイトによりけり。基本のフレンチドレッシングすら、攪拌するのしないのと様々でした。
( ゚Д゚)フリーダム
自由で良いんだね。
ゴマ油で中華風、醤油で和風、チーズとクルトンとニンニクでシーザーサラダ。ミックススパイスでイタリアン。
そもそもサラダはあまり食べないし、普段はこれで充分かな。
ピザソースも買うのを止めました。ケチャップ+オレガノで大体ピザだし。朝食に出すことが多いので、オニオンやガーリック抜きが良いのです。
そりゃ真面目に作れば美味しいだろうけど、それなら市販の方が安いし美味しいもの。
まれにボリューミーなご馳走サラダや、メインでガッツリとピザを食べたいときは、奮発して市販の調味料を買い、使い切ります。
今まで冷蔵庫の扉で持て余していた調味料たちが、とたんにご馳走に。それが一番ラッキーなことでした。
シュガーとミルクポーションは準備しない
来客にそなえて、常にコーヒー豆やお茶を準備していました。
でもコーヒーって何かと準備が要るし、いつのまにかおいしいコーヒーだけ無くなるし、家庭用のインスタントはお客様に出しにくい。
シュガーやミルクだけずっと残ってヘタってくるし…
そもそも来客がないのです。まれの来るのは年配の方や業者なので、茶飲みの私はコーヒーをあきらめました。年末年始にはあらかじめ連絡があるので、そんな時はコーヒーも準備するけど。
来客には9割お茶で。
永遠に切らさないって何でも大変だよね。インフラ整備ってホントしんどい。茶菓子の常設もあきらめて、まれにもらうスティックシュガーは料理で使い切る。ポーションはもはや使わないことに。
コーヒーをあきらめたら、茶菓のメンテナンスがラクになりました。
輪ゴムとクリップは使わない
輪ゴムはヘタるし、プラ製のクリップは脆い。みんなすぐに居なくなってしまいます。
なので、今はダイソーさんのダブルクリップを使用。文房具という固定概念をとりはらうと、これほど便利なものはありません。
ステンレスで清潔感があり、しっかり閉まるし壊れない。洗えるしヘタらないし、牛乳パックなどの厚いものにも使え、なにより安い。
100円で1年以上使えます。
巻きすやせいろ、菜箸を淘汰
巻きすはラップに、菜箸は普段使いのものやフォーク、トングに代替しました。殆んど使わないせいろは処分し、皿にキャベツの葉を敷いて乗り切ります。
竹材や木材のメンテナンスが苦手です。なるべく食洗機で洗えるものが良い。かといってプラスチックは水切れが悪く、あまり好きじゃない。
徐々にステンレスやシリコンに切り替えています。
トシと共に握力が弱り、菜箸を上手に使えなくなったので、老化に伴うキッチンツールの見直しが必要な時期なのです。
目指すは清潔で効率的なオープンキッチン
子どもが成長するにつれ、食事量も質も時間も変わり、作る側は年老いてゆく。
楽になりたいからと家電の買い増しをしたところで、新機能を活用するのはワリと難しい。そして物が溢れかえり、メンテナンスに手間がかかる悪循環。
食費やメニュー、栄養や調理の工夫は大切です。だけど、キッチンの在り様も大切なんじゃないのかな。楽しく負担なく、清潔で安全で、経済的で効率的であるために。
なにより、家族みんなが使いやすくあるために。
いくらフォトジェニックであろうとも、イザという時に夫や子どもが使えない複雑キッチンでは意味がありません。
多少の引継ぎで理解できる、シンプルな状態を維持したい。メンテナンスフリーで家事の負担を減らし、家族で使える清潔な場にしたいと思っています。
中学生になった子ども達。
最近は自分達で昼食や夜食を作り始めています。迷わず自然と調理できているので、キッチンのオープン化はそこそこ成功かな、と感じています。
…まぁ、
何も無いから迷いようもないけどさ(;´Д`)
あと食器は食洗機に入れて下され…(;´Д`)
淘汰された100の物たち53~62【ズボランドリー】色々あきらめて、捨てた一番大きい物は「良妻賢母の呪縛」かも。
我が家はズボランドリー。
物干し竿、物干し台と重石。パラソルハンガーにピンチハンガー、オムツ干し、洗濯カゴにバスタオル、そして洗剤。日除けグッズなどが16年かけて淘汰されました。
ズボランドリーで淘汰された物たち
外干しをあきらめる
嫁ぎ先の物干し竿の塗膜が剥がれていて、悩んだあげく撤去しました。震災後は外干しをあきらめて物干し台と重石も。
パラソル型の物干しやピンチハンガーも淘汰され、乾燥機が主力になると洗濯カゴすら不要に。
日よけの帽子も手袋もUVクリームも要らないし、洗濯ばさみも太陽光で劣化しないので買わなくなりました。
これまた塗膜がはがれたオムツ干し(実家から持ってきた40年物)も、子どもが大きくなって手放しました、これは泣く泣くでしたが…
今はステンレスの布団干し1つのみ。軽くて移動も掃除もラクで、充分です。
柔軟剤をあきらめる
柔軟剤や香りづけも使わなくなりました。香りも好まないし、柔軟剤を使ったタオルは「ふけない」と拒絶されていたのよね。
酵素系漂白剤を使い、40~50度の湯温で洗うことで消臭できました。色落ちも無いですね、今のところは。
洗剤もあきらめ気味
「洗濯マグちゃん」を買ったら、洗剤を使わなくなりました。頑固な汚れ用にし、仕舞っています。しつこい汚れが無い家だから可能なことだけど。
ゴミ受けにタールのような石鹸カスがなくなって、メンテナンスが不要になりました。あれは菌の温床になるからね…
石鹸カスこそ汚れ落ちの証だろうか…とか、いずれ黄ばむだろうか…と思いつつ様子見ですが、これでいけるかもしれません。
素材をあきらめる
子どもが小さいころは綿や麻の品を買い、洗剤にもこだわりました。でも今では制服もジャージも化繊だし…
なんであんなに頑張ったのだろうか(遠い目)。
化繊って悪くないよね。乾燥してもヘタらない、シワにならない。
ただし、煮洗いで白くなるのは天然素材のみですね…化繊をグツグツ煮たらシワシワになりました。そして取れない。
畳むことをあきらめる
私が子どもの頃、実家には大量のタオルがありました。パラソルハンガーを4つも使って干すので、美容室と間違われたり。
タオルを干したり畳んだりの手伝いは苦ではなかったけれど、大人になり自分の仕事となると、途端に面倒くさくなるものです。
なので、洗うのも干すのも畳むのも難儀なバスタオルは買わずに淘汰。夏にプールで使うものや、数枚の頂き物が納戸にある程度。
入浴はフェイスタオルのみにしてもらっています。夜に洗い、朝に洗濯乾燥機から取り出したら、畳んで目の前に積んで終了。
さらに脱衣所の棚を整理して服や下着用に。家族の靴下はそれぞれの銘柄指定で大量買いし、各人の専用カゴにIN。あとは洗濯機の天板で畳みながら仕舞ってしまいます。
朝5分で片付く様になりました。
仕分けをあきらめる
日々の下着やジャージ、タオル程度ならまとめて洗います。さすがにYシャツやジーンズなどは分けますが。
温水+酵素系漂白剤で殺菌しつつ洗うけど、今のところ色移りも無いですね。
スイッチオンをあきらめる
一軒家だからできるのだけど、夜に洗濯機を回して乾燥まで済ませます。
でも最近は、子ども達も成長して入浴時間がずれ込み、私は老化して起きていられなくなりました。
なので、最終入浴者=スイッチオン係になってもらいました。有難いけど、寝不足が心配だし早く寝て欲しいのが本音。
難しいことをあきらめる
おうちクリーニングもあきらめました。おしゃれブラウスやスーツはドライモードで洗い、アイロンをかける程度。ダウンは乾燥もしちゃうけど。
私が出来るのは多少の漂白と殺菌、アイロンまで。仕事もしてるしそれが限界。それ以上は求めないことにしました。
たまにしか使わない専用洗剤や染み抜き棒、溶剤の管理が面倒だし。
染み抜きや礼装のメンテナンスはプロにお任せしてます。そして、そんなケースは年に数回も無いのです。
各家庭に依るけれど
染み抜きし、洗い、干し、畳み、仕舞う…洗濯って大きなウェイトを占める家事です。
テレビを見ながら、とか喋りながら…と思ってリビングに持って行くと、時間はかかるし、服も床も汚すし家も散らかる。
もし家のあちこちに衣服があるなら、枚数が多いかオーバーワークか、もしくは両方かもしれません。
とはいえ、家族の生活スタイルに依るものね…ウチは子どもも成長し部活は屋内で、仕事も事務職だからできるのだけど…
白いユニフォームの野球少年や作業着の男性を見ると、その裏で洗濯を頑張るお母さんを思います。大変だろうな、毎日すごいなって。
一番あきらめたものは
というか、一番あきらめたのは【良妻賢母】って呪縛かも…
(母親なのにしっかりしないと)
(お日様に晒さないなんて…)
脳内のモブ共がざわめく。
( ゚Д゚)キキタクナーイ
一応、言い訳はあるんですよ?
震災後の土埃で外に干せなかったとか、家族が柔軟剤を好まないとか、いずれ巣立つ子どもにも家事の一端を、とか。
でもなにより私は、「散らかさない」を最優先にしたいのです。かつては良妻賢母を頑張って、家中に洗濯物がぶら下がったり地層になったり…
それでは本末転倒だもの。
基本はマグちゃん+漂白剤+温水で夜洗濯、毎朝5分で畳んで仕舞う。残りは休日。
物の多さは家事のバグ。
色々あきらめたら、体も心も楽になりました。
【以前の記事はこちら】
淘汰された100の物たち51~52【インテリアやアクセで飾らない】物に願いを託しすぎると、買いすぎる。
家や自分をあまり飾らなくなりました。
礼服も髪留めも1つだけ。アクセもインテリアもほとんど無いのですが、とくに不満はありません。
物を捨てるのはしんどい作業です
断捨離の素晴らしさばかりが先行しているけど、物を捨てる作業はしんどいです、それがたとえ壊れた物であろうとも。だからなるべく、壊れたら買い替えずに減らしてきました。
使えるのに手放した物もあるけれど…
教材のような過大な期待を抱いた品ほど、粗末にし放置する傾向があるように思えます。かといって、捨ててサッパリするのもどうだろう…
ここ数年、できるだけ使い切って手放す。使い切れないなら、劣化するまえに反省して手放すよう努めました。そして。
今まで悩みながら、たくさんの物を手放したし、いまだ罪悪感もあります。けれど反面、その物たちが今も私に教えてくれるのです。物を媒体に何かに願うのではなく、自分自身に願い、日々を信じ生きる。何かを成し、叶えるのに大切なことは、『自分』と『時間』を信じることだと。
長い時間をかけて、私はやっと信ずべきものに気付いたのでした。
購買意欲は物に願いを託す行為
この年になってつくづく、購買意欲って【願い】を物に託す行為、だなぁと感じます。それに気付いたら【物にすがる】ことも減りました。
買ったら使え、っていう単純な話だけど。
でもこのご時世、その単純なことをやり遂げるって難しい。TVでは感情を煽るCMが延々と流れ、店には無数の類似商品が並び、ネットにはレビューが溢れているのだから。
買っても結果が出なければ、捨てもせず次の商品を求めてしまう。まるでTVのチャンネルを次々と切り替えるザッピングのように。
願いのザッピング
それは、願いのザッピング。
この品が欲しい、この願いを叶えたい、という目的がぼやけてしまい、とりとめもなく類似商品を買い続ける。趣味じゃない番組を見続けろとか、合わない物を持ち続けろとは言わないけれど…
その品が使えなかったのか、自分が使わなかったのか。その機能が必要だったのか、宣伝に夢を見たのか。自分が欲しかったのか、評判だから惹かれたのか。
その境界線はあいまいで、物のせいにしてしまいがち。それを自覚するのは難しい。
ある程度はしょうがないです。ただ新たに物を買うなら、前のものは放置せずにどうにかしないと、きっと同じことの繰り返し。
それはたぶん、願いを放置することだから。
物の放置は願いの放置
苦痛でもしっかり手放し、願いにケリをつけたほうが良いと思います。
しんどいです。様々な思いが生まれます。
次こそは吟味しよう、でも継続できるだろうか、私の願いはこの程度か、こんなコトすら続かないのか…
でもそれは願いを精査し、自分の性質や限界を認識する作業となるでしょう。
物の放置は願いの放置です。
それに一生にできることって、少ない。
物に紛れて粗末になった願いたち。宝石だったはずのそれを数個だけ、拾って大事にしたほうが良いと思います。
物と願いが減ってゆく
物を手放す作業はしんどいけれど、それは物の海底に沈んだ願いをサルベージし、素の自分に還るかのようでした。
私の物が減り、私の願いも減ってゆく。
そこで気付いた素の私は「メンテ嫌い」「苦労したくない」「めんどいのヤダ」…
そんなんだった。
_(┐「ε:)_ズコー
私の宝石ってこれっスか…?
でも私は、物への思い入れが強すぎて、しんどくなる性質みたい。思えば断捨離のキッカケも「物に支配されたくない」という爆発でした。
なので、物を厳選することは、私にとっては理に適っていたのです。
こうして、飾らない素の私へと還ってゆきました。
飾りものも減ってゆく
そして、自分や家を飾ることも減りました。
インテリアも装飾品も見る分には素敵ですが、最近は現状に見合わないものを避けるようになりました。これで変身☆って願いを託してるなぁと感じ、醒めてしまう。
今、普段使いの装飾品はネックレス1つだけ。フォーマルジュエリー(人工真珠と頂き物のジェットだけど)の準備が整い、なんだか満足したみたい。
インテリア小物も殆んどありません。玄関は額絵1枚、リビングは子どもの写真と作品数点、和室は何もナシ。私物の小物は家族がくれた造花が4輪ほど。
少数精鋭に満足し、購買意欲が減りました。
あとは小綺麗であれば良い、と。
綺麗になるには装飾品が要るけれど、小綺麗は日々のメンテや丁寧さが物を言う。つまり掃除をすれば、小綺麗を得ることができると思うのです。
物に願いを託す結末は
お金を貯めたいのに、貯金せずに風水財布を買う。美肌になりたいのに、徹夜して美容液を買う。痩せたいのに、サプリを買って食べ過ぎる。清潔にしたいのに、掃除道具ばかりが増える。
スポーツウェアがパジャマになる、ぶらさがり健康器が物干し竿になる…あるあるです。でも周りを見回して、そんな品が自宅に溢れているのなら…
それはきっと、物に願いを託しすぎた結果。
それに気づかない限り、願いは叶わず、物だけが増えてゆくのかもしれません。
淘汰された100の物たち50【新たな船出】船長の父が造った帆船模型。悩んで手放して得たものとは。
大型船の船長だった父が若い時に作った帆船模型。それを悩みに悩んだ末、手放した話です。
震災と思い出の帆船模型
震災に伴う引っ越しのとき、父は「古いし荷物になるから」と帆船模型を子ども達にくれました。「自由にあそんで」と。
それは父が若いころ洋上で自作した、大きな帆船模型。物心ついたときから実家の飾り戸棚にあり、ずっと眺めていたものでした。
( ゚Д゚)…
そんな適当に扱えないでしょー!
静かなる攻防
「イヤイヤ引越し先で飾ったら?」「向こうに着く前に崩れるよ」「子どもが触ったら壊れちゃうよ」「大丈夫、捨てていいから」「そんな無碍に扱えないよ」「壊していいよ、喜んでるし」
互いを思いやる(体の)攻防が続きます。
実際、作品というより工作だし、50年モノの古さだし、輸送が非現実的なのも解ってる。でもこのままじゃ、処分を負うのは私です。それは勘弁してほしい。
つまりハッキリ言えば「今、処分する家具と共にどうにかなりませんか」ということですよ…到底言えませんでしたけれども!
結局、子ども達は喜び、お持ち帰りとなりました。
( ゚Д゚)ナンテコッタイ
年月は物を劣化させる
すでに劣化しているそれは案の定、たった20分間の車中で壊れはじめました。家に持ち込むときに壊れ、子どもが触れては壊れ、風が吹いては壊れ…
我が家に大きな飾り戸棚はなく、机上に飾ればロープに埃がまとわりつく。掃除もしにくく木や糸に埃がまとわりつき、力が入ると壊れてしまう。
解ってました。
断捨離を通じて手放センサーが磨かれた私。直観的にコレあかんヤツやと解っておりました。そして、手放すのに苦労することも。
ホントどうしよう…
そして親の体調悪化
大震災と続く余震、仕事も生活もままならない。
そのうえ、年に一度会えるか会えないか…という長距離へ両親が旅立つ。
震災で多くの方が家族や家を亡くしたなか、取るに足りない思いなのは自覚しているけれど、やっぱり引越しはつらかった。
だからこそ帆船も重すぎて。
そんな折、母が手術。次いで父も体質とはいえ内臓機能が低下し、医師にリタイアを薦められたのです。
とうとう帆船を手放した
捨てるのも畏れ多いけれど、持ち続けるのも畏れ多い帆船模型。
なにせ父も母も体調不良で、そのうえ船乗り。船を疎かにするのは不安です。
私の素人修理では限界がある。修理見積もしたけれど、作品というより工作だし、プロの全取り換えって、もはや別物…
親は「気にしないで~?捨てていいんだよ~?」とか言ってくれちゃうし。
( ゚Д゚)…
しかし数年後、母のほぼ完治を期に(手放そう)と思えました。そしてお焚き上げをしていただいたのです。
新たなる船出
さらに数年経ち、父がドクターストップに。
たとえ陸上でも、突然に発症して救急搬送される場合もある病状です。海上で体調を崩したらひとたまりもありません。母もそれをずっと心配していました。
でも父は、帰港するたび通院して体調を把握し、ずっと節制してきました。そして医師の指示に従い、限界を超える前に下船したのです。今は治療しながら、新しい役職で後進の育成も始めているそう。
両親の新たな船出です。
それは覚悟、かもしれない
両親の病気は、帆船のせいじゃない。大事に至らずに済んだのも、帆船のお陰ではない。検診を受け、早期に治療し、節制して努力しているからです。
解ってはいるの。
物のせいにしてはいけないと。
でも、人は物へ思いを乗せてしまう。
私は帆船に思いを乗せてしまい、勝手にしんどい思いをしていました。しかし断捨離によって、それに抗う力をすこし得たようです。
それは「覚悟」に近いものかもしれない。
諦めではなく、肚を決めるとか肚を括るとか、そういう類の。
父はあのとき、肚を決めていたのでしょう。母は…どうだろう、引越しを心苦しく思うふしもあったけど…
とはいえ、今まで夫不在で子を育て、介護して手術して、津波に2度も遭い…母は肚を括って生きてきたのでしょう。父も母も、強い。
なのに私だけ、腹が据わっていなかった。その弱さを船に乗せてしまったのかもしれません。
物も心も自分で始末
帆船からすれば、私の思いこそ迷惑な荷物だったでしょう。
やっと最近は迷いも消え、(親の代役で手放したのだ)と思えるようになりました。親がとりあえずも元気だからこそ、思えることだと解ってるけれど。
これからも、ヘタレな私はグジグジ悩むでしょう。覚悟の上!なんてとてもとても。前より少し、マシになっただけ。
これからも、様々な出来事はおこります。
その時、できるだけ理性的でありたい。人や物に思いを乗せて思いつめたり、自分を追い込まないようにしたい…できるだけ、少しでも。
なにより、子どもが望むもの以外は、なるべく自分で始末しておこうと思いました。自分にとってはささいな品であろうとも。
…とはいえ、孫ができたらきっと何でも与えたくなるんだろうな…
(;´Д`)
今から物を減らしておこうっと。
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淘汰された100の物たち39~49【シンプルキッチン】ミニマリストらしく調理家電は基本2つに。
結婚して16年。
今キッチンで常勤の調理家電は、レンジと炊飯ジャー。(冷蔵庫とIHと食洗機は設備扱いでお願いします)。これまでたくさんの商品を使ったけれど、壊れて買い直したものはこの2つ。
非常勤のホットプレートとタコ焼き器が、キッチンの調理家電の全てです。
淘汰された家電たち
買い直さなかった家電を書き出したら結構ありました。もちろん良い商品で、必要に応じて買うつもりです。今のところは必要ないだけで。
それにしても、これだけ壊したり手放したと思うと凹みますね…婚前のものも含むとはいえ、量販店のフツーの商品なんだけど、使い方が悪いのかな…
フードプロセッサーはメカブ専用
実家では、山ほどの塊のメカブ(むしろ根)を挽いて、とろろめかぶを作ってました。板状にして冷凍し、食べるときにサッと湯がきます。一瞬で鮮やかな緑に変わり、磯の香りが本当に美味しかった。
ところが結婚して気付きました。ありのままのメカブって基本手に入らない。
嫁ぎ先のフープロをハンバーグや離乳食で使ったけれど、故障(肉を挽いたら煙を噴いた)してからは買い直していません。挽肉売ってるし、子どもも成長したし。
でも私、塊メカブが手に入ったらフープロ買うんだ…
ミキサーとかジューサーとか
子どもが幼いころは、にんじんやリンゴ100%の手作りジュースを作りました。
でもウサギリンゴや油たっぷりで炒め煮したニンジンの方が好評だった…その方が栄養価も吸収率も高いだろうし。
それに残った果肉が勿体ないし、冷凍して使ったけど面倒で。あげく一度あふれた果肉がモーターに詰まったら、もうダメでした…
トースターはグリルと兼用
嫁ぎ先のそれは旧式のレンジと共に壊れ、一本化しようとオーブンレンジを買いました。しかしトースト1枚に余熱を含め20分かかり、庫内温度が冷めるまでレンジ機能は使えないという…
( ゚Д゚)ナンデスト
今はグリル(魚焼き)で焼いてます。
グリルって調理家電のなかでも最速で高温に達し、庫内温度も高く、ピザ窯と似た環境とか。
4分でパンはもちもち、デニッシュはサクサクに焼きあがり、トースターより美味しいです。たまにダークマターが出来るけど。
電動ミルは煮干しに負けた
夫はモーニングコーヒー派。なので新婚時に二人でこだわり豆やミルを揃えたけれど、胃を痛めてインスタントに戻りました。
その後ミルは煮干しを挽いて故障…
説明書にも大丈夫って書いてあったのに。
電気ポットとケトルは遺品整理
義祖母が亡くなった時、危ないし古いしで遺品整理しました。小さい子の手の届くところに無人のポットを置いておけないし。
ポットワゴンって、茶の間とコタツがあって、年寄りが常駐してこその製品ですね。茶飲みなのでこの原風景は懐かしく、絶えるのは寂しくも感じます。
かといって復活しようとも思えないなぁ…ヤカンで沸かす方が楽だもの。
独身時代のブレンダーと泡だて器
独身のときに買ったブレンダー。結婚してからは使用頻度が減り、クリーニングしてリサイクルしました。独身の頃は細かい部品もメンテナンスできたけど、結婚後は忙しくてムリでした。
ずっと使っていた電気泡だて器も、故障とともに買い直しを止め、お菓子作りも小規模に。子どももキャラデコやサーティーワンのケーキを喜ぶし(そらそうだ)。
手作りも過ぎればハレじゃなくなる。ケ(日常)になってしまうよね。
それに手作りって体に良い気がするけど、家の場合は太ったかな。既製品だろうが手作りだろうが、何でも適度に楽しめば良いと思います。
炭酸水メーカーは失敗だった
これは完璧にブームに乗ってしまいました。夫も子どもも欲しがって、私も炭酸水洗顔につられて了承したけど、一度作って皆で満足してしまい…
炭酸ボンベを補充するのもめんどいし、ペットボトル型の水入れは洗いにくい。まさに鬼門。水を使うメンテめんどい系を私は買っちゃダメなのに。
( ゚Д゚)ハンセイ
買い物に慎重になったつもりでも、まだまだですね。皆も忘れ切った1年後、フリマで手放しました…勿体ない。
炭酸水洗顔?そういや一度もやってない…
壊れても使い続けた電気鍋
温度調節のツマミが壊れた電気鍋を十年使い続けています。いつも高温MAXなので、温度調整はコンセントを引っこ抜く。
でも先日、実家から土鍋を頂き、電気鍋は処分することに決めました。防災用のカセットコンロを兼用できるし、ボンベが錆びると危ないので。
先日、ちょっとだけ錆の浮いたボンベをヒヤヒヤしつつ使いきり、猛省しました。食糧だけでなくボンベも消費しなければ(怖い目に合わないと学べない)。
めんどい系ミニマリストのキッチン
とにかくメンテナンスを無くしたい。
16年の淘汰のすえ、簡素なキッチンとなりました。料理も簡素になるかと思ったけれど、和食が増えた程度で不便は無いです。
いま水回りはこんな感じ。クレンザーで擦るだけのメンテですが、築25年にしてはキレイだと思います(というか何もないだけか)。
もともとは棚があり、その後もコーヒーメーカーに炭酸水メーカーにフ―プロ、瓶入りの調味料や観葉植物も置いたけど、今は何も置きません(茶飲みなのでヤカンは可)。
衛生を保つのって難しいよね。何もないってホント楽です。
淘汰された100の物たち38【ヘアケア用品】物も増やさず手間もお金もかけずに、2つのケアで艶やかに。
めまいがするほどヘアケア製品があふれている昨今。
でも、手間もお金もかけずに艶髪になりたい。健やかなシルバーヘアになりたい。めんどい系ミニマリストの私が辿り着いた、2つのヘアケアをご紹介します。
なにが体に良いのやら
湯シャンや脱洗顔も認知され、洗いすぎも肌に悪いと言われる現在。石鹸が安全とはいうけれど、キシむし痛むしパサつくし…
結局、何が良いのかわかんない。
それを良いことに朝夕の洗顔もクレンジングも止め、洗髪もシンプルに。頭皮が不調なときは湯シャンしたりとそれなり。
今使っているシャンプーはこちらです。天然100%でアトピーでも大丈夫とか。これで家中の洗剤の一本化をすすめているご家庭も多いそう。
(公式サイトではサンプルが頂けます)
ウチでは主にお風呂で使っています。
娘の髪が曲者で、何年もジプシーしてコレに辿り着きました。うねりや広がりが減ったので、今のところは良い感じ?(経過観察中)
私はマジックソープを使っていたけれど、今は娘と共用です。肌も髪も調子はいいし、排水管までキレイにしてくれるのが嬉しい。
逆に男性陣は物足りないらしく、別のシャンプーを使っています。
同じ商品でも家族ですら相性があるし、何が良いかも結局判んない。各自の体質に合わせれば良いと思います。
製品もだけどやり方が重要では
こう選択肢が多いと迷いも増えますね。実家にはヘアケア用品がたくさんあります。
私が物心ついたころから、母は髪を毎朝セットしていました(昭和のお母さんって自分で巻いてたよね)。
ハードスプレーも落ちにくいので痛みがひどく、色々な洗髪料を試しています。母の巻き髪は素敵でいまだ憧れますが、メンテが嫌いな私には無理ですね…
ちなみに父も健在ですが、父いわく「若い頃『弱いヤツはいらん!』とガーっと洗ったらみんな去った」そう。
( ゚Д゚)…
私は父似だったのか(納得)
…というわけで、やり方も重要ではと思う、メンドイストの私がシンプルな2つのケアを紹介します。買い増しも要らず、手間もかからず、最小限の持ち物で最大限の効果が出せるヘアケア。
それは「チェンジリンス」と「ブラッシング」です。
魔法のチェンジリンス
大昔に教わったチェンジリンス。これだけは忠実に守っています。何も買い足さず、手持ちのもので髪が変わるのですから。
ポイントは「乳化」です。
リンスやコンディショナーを水で流すとトロリとするアレです。乳化させるとコンディショナーは浸透が良くなり、リンスはムラなく被膜するそう。
「乳化しないと意味が無い!」と美容師さんは力説されてました。
やり方はとても簡単。
- 髪にリンス等をつける
- 洗面器に湯をはる
- 髪を入れて乳化させる
- なじませて、すすぐ
これでかなり変わります。昭和のリンスと同じに思えるけど、現在のは髪に直接塗布するよう作られているそうですよ。なのでお湯に溶かすのはおすすめしないそうです。
丁寧なブラッシング
私見ですが健やかな髪のコツは「絡ませない」。これに尽きます。
保水量だキューティクルだ言っても、絡めば元も子もありません。絡みを解くときこそ髪は痛みます。だから絡ませない製品が多々あるワケで。
実は私、前はおざなりでした、アップにすりゃ判んないし。
でもあるとき絡まって、ほぐすときに髪は切れ、縮んでアホ毛が大量発生…
( ゚Д゚)イタタタタ
それ以来、日々梳かすようになりました(痛い目みないと学べない)。
寝起きや就寝前、昼休み。思い立ったらいつでもコームで梳かします。続けるうちに艶も出てきました。洗髪前も丁寧にブラッシング。洗髪中の摩擦が減りますね。
また、邪道ですが私の場合、洗髪中も梳かします。すすぎも洗髪もアフターリンスも。
濡れた髪を梳かすと痛むといわれます。なので万人向けではありません(シャンプーブラシはどうなのさ?とも思うけど)。
当たり前のことですが、とにかく手ぐしよりも優しく丁寧に、毛先から。絶対に引っ張らない、力まない。泡や水流、リンスの力を借りて、ただブラシを落とす感じ。
写真の様に、地肌を洗うために髪を全て頭部に乗っけることはしません。
これって一番髪が摩擦し絡み、解くときに痛むと思う…
なのでなるべく長いままに洗い、絞り、拭き、乾かすようにしています。
絶対に髪は掻き混ぜない。
今現在、セルフカットでおざなりながら、枝毛はないし絡まないし、いい感じです。白髪はどうしようもないけれど。
まぁ万人向けではないと思っています。私の場合ってことで。
でも、絡ませないって本当に大事だと思うんだ…
髪のケアも掃除と似てる
酷くなる前に対処し、手持ちの物を有効に使う。なんだか掃除と似ています。
良い製品ならば、新製品ならば…と物に期待する前に、ただ丁寧に梳かす、拭く。それだけで部屋も髪も、すこしづつ変わります。
「丁寧なブラッシング」と「魔法のチェンジリンス」は当たり前のヘアケアです。でも当たり前をきちんとこなすと、何でも大きい効果が出るものです。
それに何より物も増えず、お金も手間もかかりません。ぜひ、お試しください。
淘汰された100の物たち37【花の無い生活】生花がなくても豊かに暮らせるかもしれない件。
何もない空間に一輪の花。
それがミニマリストの理想と思っていた時期が私にもありました。
でもやめました(;´Д`)
花のある豊かな暮らし?
私は生粋のブラウンハンドです。
植物どころか動物も枯らす幼少時代。
マリモを枯らし、サボテンを枯らし、カブトエビはフリーズドライから孵ってフリーズドライに還る。www.kajiless.com
とりあえず子ども達は干からびずに育ちました。
(;´Д`)ホッ
そんな私でありながら断捨離初期は、無謀にも【花のある暮らし】に憧れました。月数回、ガーベラ1本やミニブーケ300円を飾っては「この花に見合う部屋にするぞ!」と頑張ったもんです。
徐々にしおれるブーケを分解し、元気な花を活け直し、大皿に浮かべ、各所に飾り…
でも今、マトモに買うのはお正月の若松ぐらい。
徐々にめんどい系ミニマリストとなった私は、あらゆるメンテを減らしたいと思うようになったのです。
そしてなにより、花が無くとも豊かに暮らせると思えたからでもありました。
ミニマリストは侘び寂びと好相性
ミニマリストと侘び寂びって相性が良いよね。
花一輪の思想も、そこが発端ではないかしら。簡素な茶室の床の間に、一輪挿しただひとつ、といった風情は哲学を感じます。
Wikiによれば「侘び:不足の美を表現する」「寂び:閑寂のなかに奥深さや豊かさを感じる」美意識だそうで(わび・さび - Wikipedia)。
不足の美とか不可解ですが「無くても足りる」心境には至ってきてます(金と筋肉は除く)。
世の中にはたくさんの物が溢れ、足りなければ簡単に補える。そう思うと最近は買わなくても済んでしまう。なんだか気持ちが足りてしまうのです。
もちろん不測の事態の準備は必要です。震災で物がない状況を経験し、防災の準備が済んだからこその充足かもしれませんが。
今は手元に無くとも、いずれ巡って来る気がするのです。本だって借りられる。日用品も、あったら便利はなくても平気。だってこんなに溢れているんだもの、大丈夫。
そう思うにつれ、花を買うことも減りました。
外に出れば緑の木々も金木犀の香りも楽しめる。近所には桜の名所も、薔薇園が美しいカフェもある。滅多にないけどホテルや美術館で豪華な装花を鑑賞できる。
春は木蓮や桜、夏はバラを楽しみ、秋はスーパーで無料のススキをいただいて十五夜を楽しむ。
世の中、なんてたくさんの花と緑に溢れているんだろう。
我が家をいろどる無機物な花たち
いつしか我が家から、生花や観葉植物が消えました。かといって無機質かというと、そうは感じません。玄関にはこんな感じの風景画を飾っています。
私の場合は花や緑を買っては枯らすより、額絵はメンテいらずで美しく、充分です。コストもかからない額絵はおすすめですよ。
扉のつまみも花の意匠に変えました。セリアさんで見つけて、指がすべって開けにくい四角のつまみを全て変えたら、開けやすいし素敵になりました。
あとバラの造花かな。母の日に買っていただいて、飾っています。
花は枯れます。それを「生ゴミ」として捨てるのがずっと負担でした。家族が誕生日に買ってくれたミニブーケなんて、嬉しいからこそ捨てるのが辛い。十五夜にススキは欠かせませんが、ゴミに出すのはしんどいです。なにせ神様の依り代だし…
それも花を買わなくなった理由の1つです。お正月の松だけは、どんと祭があるから安心。
家から生花が無くなって、実はホッとしています。
吾れ花は足るを知る
禅の心や侘び寂びの美学を表した枯山水、竜安寺の石庭。
十五個ある置石を、1つだけ隠れるよう配置にしてあるのは有名な話です。そこから不足の美や不完全の心に思いをはせるのでしょう。
「花のある暮らし」をやめて生花を淘汰し、石庭のように無機物ばかりの今、私は満足です。不足が満足とはこれいかに。
不足や不完全って結局なんなの?未来が今の積み重ねでしかないように、満足も完全ですら不足や不完全の積み重ねでしかないような…
不足という欲は目標で、不完全を補う修練は成長です。
なのに完全や満足が厭われるのは、私たちが物に期待しすぎるからでは?
アレがあれば、コレがあれば、花があれば…と物ばかり積み重ねる。修練を積み重ねて完全へ至るところを、欲ばかりを積み重ねてる。
竜安寺には「吾唯足知」ー吾れ唯だ足るを知るーと彫られた銭形つくばいがあります。
欲はあるが、無くてもこれまた良いもんだ。って感じかな?(凡人思考)
花はそう思えるようになったので、お金も筋肉もそうなりたいものです。でも私の場合、さんざん欲こいて足掻いてやっと、無欲に至る性分みたい。
まぁ精々、足掻いてみようと思っています。
【さんざん欲こいてる話】↓