淘汰された100の物たち36個目【大掃除を放棄】年末に揉めたくない!ので私はワンコイン中掃除
大掃除って本当に負担です。
学校の義務教育とか職場で給料が出るならともかくさぁ…
冬休みだから食事の支度は毎日3回(給食ってホントにありがたい)。年賀状に家族での外出、お歳暮の来客、年越しやおせちやお酒の準備、お正月様をお迎えして仏壇もととのえ、さらにウチの場合は誕生日も重なるし。
そもそも仕事してるし。
その上、かつては年末にいただく大量の海産物にてんてこ舞いでした。大晦日にホタテや牡蠣を何時間も捌き続けたのも、今は忌まわ 良い経験です。
掃除をイベントにしない
この数年、大々的な大掃除をしていません。良い風習だとは思うのですが、いかんせん私の精神的負担が大きいからです。
( ゚Д゚)イライライライライライラ
これじゃぁ円満に年を越せない。
とは言え、最初は抵抗がありました。その考えが変わったのは、掃除大国ドイツの方の著書を読んでから。それには『いつも清潔なら、大掃除する必要がない』と書いてありました。
( Д ) ゚ ゚
キレイならエエんや…目からウロコ。
本来ならばゆく年に感謝し、お正月様を迎えるための大掃除。なのに実際はそれにかこつけて、日常の掃除をないがしろにしがちです。
大掃除があると思うのは甘い考えだな、と私は腑に落ちたのです。それ以降、年末の大掃除をあえて止め、なるべくキレイをキープするように。そしたら楽ちん。
『掃除はイベントにしちゃいけない』
考えがひっくりかえった瞬間でした。
ワンコインで家が輝く
そんな訳で、大掃除への幻想が打ち砕かれた私がたまにするのは「ワンコイン中掃除」。
主役はもちろん、100均さんのお掃除シート。気が向いたら、これ1パックが空になるまで拭き続けるという、シンプルかつゴリ押し掃除法です。
ある日は玄関。鏡を拭いてスクレーパーで水気を切り、それで汚れた靴を拭き、靴箱を撫でて框を拭きまくる。またある日はリビングの電化製品や棚を拭き、最後に床を。別な日はキッチンの家電やシンク、思い立ったらトイレや脱衣所全て…
説明も何もありません。シートがカラになるまで、頭をカラにして拭きまくる。これをたまにやっておくと、年末がぜんぜん違います。
掃除用具のメンテナンスもいらないし、おすすめですよ。
ワンコイン掃除の最大のメリットは
ここ数年、ワンコイン掃除を続けて感じる最大のメリットは。
年末に揉めない。
これにつきます。(主にひとりでやってるからもあるけどさ)
大掃除ほどのイベント感も無く、費用も100円程度で気楽です。ゲーム感覚で始められ、1パック使い切ったら終了、と終わりもハッキリしています。
掃除は終わりが見えない作業、区切りをつけるのが難しい。
というか区切りが人それぞれだから、揉めるよね。「ここもあそこも終わってない」「もう充分だろ…」と。
しかしワンコイン掃除なら、家族に依存せずに自分で取り掛かりやすいし、回数をこなせるので大掃除のワンチャンス的な焦りもありません。
家族との共同作業も、場所を指定して「これ空になるまで拭きまくって」とシートを渡すだけ。「キレイにして」とか「ちゃんとして」は通じないので。
指示が明確になって、家族はわからないけど、私は楽になりました。
キレイの基準は人それぞれ
「きれいになった」の基準が違うから諍いがおきます。
「キレイにしてね」「ゴミを残さないで」は通じません。掃除の時だけ日本語が通じなくなるんですよ。何故ですかね。
子どもに頼んでも、あちこちゴミや埃が残ったままだし。掃除の時だけ極端に視力が低下するんですよ。何故ですかね。
( ゚Д゚)ナンデジャ
『やりゃいい』と思ってる?おざなりさを矯正したいけど、年末に揉めるのも嫌だし?本人は頑張ったツモリかも?結果より掃除した経緯をホメるべき?でも幼児のママゴトじゃないんだし?
考えすぎて疲れてしまい、諦めました。
だって掃除は当然のことだもの。
ということで、子どもには主に来客のない二階と自室を中心に、淡々と指示し淡々と掃除してもらっています。そんでもう関与しない。
( ゚Д゚)シーラナイ
ワンコイン掃除をしてから「キレイの基準」でぶつかることがなくなって、気が楽になりました。
ゆったりと年の瀬を過ごしたい
まだ終わってないのに…と内心思いつつ、家族を労わるために笑顔でお茶を淹れるときが一番イラつく私でした。どうせこの後も一人で掃除して、掃除用具を掃除してご飯を作るのが目に見えて。泣きたくなるよね。
年越しぐらい、ゆったり過ごしたい。なのにイラつのは年末という『ラストチャンス』がもたらす焦燥感と完璧主義かもしれません。
完遂させねば、と思っちゃう。
実際は掃除に終わりなど無く、したがってラストチャンスも無いのにね…
もう10月も半ば、これから数か月、ワンコイン中掃除を増やしていく所存です。
ホントに心底マジで、心穏やかな私の年末年始のためだけに。
(なんかもう既に泣きが入ってる)
※ちなみに。家族がなんもしない、とかじゃなくて私が神経たかり(神経質)なだけです。
(;´Д`)スンマセン
淘汰された100の物たち33-35個目【保温器具を減らそう】筋肉が一番のヒーターでありヒーラーだ
筋線維痛症の私にとって、寒さは天敵。だいぶマシになったけど、油断すると悪化します。
そんな寒冷にシビアな私の対策。冷え性の方の一助となれば。
布団乾燥機・湯たんぽを淘汰し、コタツも片づけて3年。今はエアコンや重ね着、電気ストーブなどで寒さをしのいでいます。
コタツらを使わなくなった訳
湯たんぽや布団乾燥機、コタツは良い品ですが、今我が家では使ってません。
20年物の湯たんぽは割れ、布団乾燥機も破損し処分。コタツは壊れてないけれど、リビングに敷いていたタイルカーペットが汚れ、1枚また1枚と外すうちにコタツを置く所も無くなって、絨毯を買おうか悩む間に数年経って、そのまんま。
ウチの物の淘汰は大体こんな感じ。
前置きはさておき、私の冷え対策について。
冷やしちゃダメ、温めてもダメ
冷えたら後で温まればよい…のは健康な方に与えられた特権です(力説)。
私が一旦冷えると、まず数日は温まりません。コタツに入ったり湯たんぽを抱えても、それは”のぼせ”となってしまいます。
冷えのぼせで汗をかいては汗冷えする、魔の冷え性サイクル。 そして腹の奥が冷たくなって腹痛へ。こうして筋線維痛症の再発となるのです。
私は冷えてはいけない
夜中に裸足でトイレへ行ったり、薄ーいスリッパをはいたり、髪を乾かすときに濡れタオルを巻いてはいませんか?
冷え性は温めるよりなにより、まず冷やしてはいけません。
髪を乾かすと汗をかくから、と裸でいては汗冷えします。何か着て、体温を一定に保つのが鉄則です。
盲点ですが、見た目温かいモフモフ系スリッパは、えてして底が薄いです。履いていると底が薄くなってゆくものは論外です。下のスリッパのように底がしっかりして、つま先のあるものがオススメです。
コタツや湯たんぽが無くなりすがるものがなくなったので、とにかく何か履いて、何か一枚持ち歩く様にしています。そして家でもダウンジャケット。暑ければ脱ぎ、寒ければ着る。
「後で温まろう」は通用しません。それを肝に銘じてお風呂上りに体温を一定に保つようにしたら、布団を温める必要もなくなりました。
今は「着る毛布」など活動的で温かい室内着もあるので、冷え性の方はご活用ください。
こんな可愛いのを着たいけど、ある意味サムイかな…
私は食べすぎてはいけない
私は3食べると冷えるので、食事回数や量を減らしています。
平日の朝昼は大抵、粉ミルクやオートミール粥(常備食の消費)。夕食や土日は家族で色々食べるし、イベントがあればガッツリ食べます。
私の場合は、固形物を食べない時間を長めに設けると良いみたい。
かといって食べなさ過ぎも冷えの元。
なので生野菜はほとんど食べず、加熱してたくさん食べます。食べる順番はタンパク質から。肉も魚もがっつりと。
ここら辺は医学的に良し悪しあるでしょうし、私の場合ってことで。
私は汗をかいてはいけない
健康な方と違い、私のかく汗は冷や汗そのもの。冷たくベタつき、すぐに体温が下がります。なのでかつては家で軽めの運動ばかりしてました。
筋線維痛症には散歩が良いそうです。
私は欲張ってジョギングもしましたが、道半ばで冷えるし、太陽に当たりすぎると体調を崩すので止めました。今はシャワーのあるジムに行ってます。 とにかく汗の始末がすぐできることが、私にとっては重要です。
また逆に、体を温めすぎても汗をかくので注意。
電気毛布や布団乾燥機で汗が出るほど体や布団を温めても、体の芯まで温まるわけではありません。寝るときに靴下を履く方法も注意が必要。締め付けで血行不良になったり汗冷えする場合があるそうで。
半身浴や長湯も、その後の汗の処理を間違えれば冷えますし、あまりオススメしたくはないですね。
外からの加温って、思ったほど内部には届きません。
パン生地も高温直火では生焼けです。オーブンのような適度な温度空間で、中まで火が入るわけで。なので保温が大事です。
でも、私たちにはパンにはないものがあります。筋肉です。
私は止まってはいけない
やはり自ら動き、自ら発熱しないとだめですね。
トイレや歯磨き中にスクワットを始め、筋肉を動かして気付かされました。
コタツや布団乾燥機で温まったつもりでも、出れば温度差のギャップが寒い。温まったつもりが急に冷え、出て入っては汗をかき、さらに汗冷えする負の連鎖。
コタツや布団乾燥機を淘汰して、いかに暖房器具に依存していたか、それによりいかに体調を崩していたか思い知らされました。
だって筋肉は、ちょっと動いただけでも私を温めてくれるのです。
私の場合、筋量を増やすことが一番の冷え対策でした。
筋肉が一番のヒーターだ、が。
筋肉が一番温かい。
スクワットするにつれ、気温変化への不安も消えてきました。これからも筋トレは続けるつもりです。民間のジムは高額ですが、市のそれはワンコイン。トレーニングマシンは最新で、自重トレーニングでは難しい箇所も効果的に鍛えてくれます。シャワーも使えて至れり尽くせり…
( ゚Д゚)スゲー
ただし初心者(私)はやりすぎてはいけません。筋肉や筋を痛める、とかじゃなくて、運動後は一時的に免疫機能が抑制されるそう。知ってはいたけど、不調でも気分を優先して筋トレしたら、感染症になりました…
筋肉と金がないと体も懐も寒い
私物はともかく、懐も脳も筋肉もミニマリストな私ですが、多少の筋肉ならば増やせることを知りました。アラフォーの今、溜めるべきは金と筋肉。脳筋になりつつある気もするけれど、物は減らして筋肉を増やしたい。
今、欲しいものは腹筋です。コツコツ努力すれば、いずれ手に入るかな。焦ったり投げやりにならず、そう思える自分がちょっと嬉しい。
筋肉は体だけでなく、心や精神も温めてくれるみたいです。
まぁ病み上がりの今はちゃんと寝て食べて、体重を増やさないとね…
粉ミルク飲も。
※ちなみにこれで筋線維痛症が治るというわけではありませんのでご了承ください。私は軽度だったのでしょう。それでもかなり辛かったし、ここまで10年以上かかりました。本当に酷い疾患の方は、病院や家族とよくご相談くださいね。あと汗冷えには本当に注意です!
皆さんの日々の痛みが少しでも和らぎますように。
淘汰された100の物たち28~32個目【芳香剤や清浄機】空気にお金かけるのやめました
今回の淘汰100は芳香剤や消臭剤、空気清浄機に加湿機、除湿グッズです。物が減るにつれ、これらも淘汰されました。メンテも不要でとても楽。
結論から言えば、物さえ減れば家の空気は澄むのです。
職場の消臭剤を捨てたい件
私が勤めている職場には、あらゆるところに芳香剤や消臭剤のカラが置いてあります。
( ゚Д゚)オォォォォォ
私の中でB'zのラブ・ファントムが暴れだす…
いらない何も 捨ててしまおう
でも独断では捨てかねる(勝手に捨てたところで誰も気づかないだろうけど)。担当にちゃんと捨ててほしい…とも言えない空気の私です。
職場の加湿機も捨てたい件
そんな職場のインフルエンザ対策で、加湿機が導入されました。フィルターに水を浸透させ、ファンで飛ばす気化式です。カビや埃も集めるから空気もきれいになるとかで。
えぇ、フィルターがカビました。
水で洗えて清潔なハズが、カビたそうで。交換するにも高額なので予算がつかない。もはや扇風機に濡れ布巾で良いのでは。
( ゚Д゚)フオォォォ
私の中でがB'zのラブ・ファントムが暴れだす…
いらない何も(以下略
というわけで、次にスチームタイプの加湿機が導入されました(予算はどこから?)。注ぎ口のない電気ポットです。沸かしっぱなしにして蒸気を出すから清潔とかで。もはやポットで良いのでは。
というかこれ、電気を食うヤツでは…
えぇ、ブレーカーが落ちました。
作業中のパソコンも落ちました。
( ゚Д゚)コホォォォォォォォォ
私の中でがB'zのラブ・ファントムが暴れだす…
いらない!(略
というか職場に限らず、インフルエンザ蔓延は日本の空気(エア)のせいというより、日本の空気(ムード)のせいだと思うんだ…
空気な私の空気事情
そんな職場の空気の在り様に発言できない空気な私ですが、家には何にも無いのでお気楽です。
だって、空気しかないんだもん。
かつては、震災後の酷い悪臭や土埃に悩まされました。
実家から譲渡(という名の処分)された空気清浄機をフル稼働しても、外の状況が凄まじく追いつかない。そんな中、心配していた子ども達は喘息にもならず、登下校し学んで遊び、埃まみれで帰って来る野生児となりました…清浄機の意味がわからない。
結局、洗浄してリサイクルショップへ。
その後も消臭剤など使ったけれど、息を止め目を閉じてスプレーしながら『キレイな空気』ってなんなんだ…キレイの意味がわからない。
正直、お金や労力に見合う空気は実感できませんでした。プシューとしてチョト湿った感じが清々しさに代替されるだけというか…
( ゚Д゚)ゴゴゴゴ
私の中でがB'zのラブ・ファントムが暴れだす…
いらない何も(略
こうして空気用品を買うことも減り、徐々に無くなっていったのです。
キレイな空気は掃除と片付けから
物が減れば、家の空気は澄む。
シンプルなことでした。
擦りゃ何でもキレイになるんじゃね的アバウト人間の私でも判る、消臭剤や清浄機からは得られぬ清々しさ。
当然ながら物が多ければ埃もカビも多いワケで、どんなに清浄機を使ってもその能力は生かしきれないでしょう。手入れを怠れば菌やカビを増やしてしまう。
加湿器や空気清浄機って、清潔にメンテナンスが出来てこそ、生きる製品だと思います。
そもそも機器の清潔を気遣える人なら、家も清潔だと思うんだ…
エア・ファントム 清浄な空気という幻
ファントムとは[亡霊・幻]。
自然豊かなモンゴルが今や世界一の大気汚染国で、エコの進むヨーロッパや標高の高い高原は放射線量が高い。海辺は紫外線が強く、塩を含む潮風は肌も物も傷めます。ウチも鉄柱が錆びてるし。
昔は良かったと思いきや、昭和の田舎はそこらで野焼きはするし、各学校に焼却炉がありました。都会も公害や光化学スモッグなどの環境問題が山積した時代でした。
欧米は、高原は、田舎は、昔は…きれいな空気って幻のよう。
むろん、福島の件やPM2.5など、国家レベルの諸問題を軽んじる訳ではないし、喘息の子に甘えなどとは言えません。でも正直、私が改善できるのは家のホコリ程度だし。
震災後の劣悪な環境を数年経験したのもあるけれど、それも改善され家の物も淘汰された今、私は空気にあまりこだわらなくなりました。
日本は冬の乾燥も他国よりマシだし、カビたり喘息にならない限り、湿気もギフトと思うことにしています。
以前、ある番組でインタビューされた外国人女性が「日本の空気はミストのよう」と答えていたのです。それも大都会の街中で。
私たちは日々ミストを浴びている。
そう思うと湿度も素敵ですね。
これから乾燥や風邪に悩まされる季節です。
でも、穢れた空気という亡霊を恐れ、澄んだ空気という幻を求めるより、まずは片付け。機材や商品を買い求める前に、まず掃除。
湿気を感じれば窓を開け、乾きを感じれば濡れタオルを振り回す。
物を減らして掃除をすれば、家の空気は澄むのですから。
淘汰された100の物たち27個目【聖杯を手放そう】インディパパのLet it goが理想の断捨離!
Let it goとは手放すこと。
物を手放すとき、私はちゃんとレリゴー出来てるかな、と思うときがあります。
レリゴーやエルサと言えばアナ雪ですが、私は「インディジョーンズ/最後の聖戦」押し。インディパパのLet it go、これこそ理想と思っている私です。
インディパパとエルサとは
インディジョーンズ第三作、ショーン・コネリー演じるインディパパは有名です。
共に学者ながら険悪の仲、堅物パパと破天荒インディ。そんな二人がパパの失踪をキッカケに、喧嘩漫才しつつ顏芸しつつ、親子共々同じ女に引っ掛かりつつ、不死をもたらすイエスの聖杯を護りぬくコメディ冒険譚。
そんな聖戦のさなか、ハニートラップ使いまくるわ、敵も味方も陥れるわ、ナチスすら利用しまくるわ…というヒロインもとい希代の悪女がエルサなのです。
インディパパの"Let it go"
映画も終盤、敵は偽杯で自滅しエルサも落命。崩れゆく聖殿の裂け目に落ちつつも、聖杯を得んと手を伸ばすインディ。これでは悪女と同じ末路…
そんな息子を必死に引き揚げながら、パパはささやくように諭します。
”Let it go…”
手放せ、と。
日本語訳は「放っておけ」。この訳も武骨で素敵です。
インディパパが人生をかけて追いかけた聖杯伝説、その集大成を手放す父親。我に返ったインディも聖杯を放棄し、二人は生還するのです。
20年に及ぶ確執と断絶を経て、親子となった二人。インディパパは、これまでの人生の蓄積よりも何よりも、大切な物を得たのでしょう。そして息子のインディも。
( ゚Д゚)レリゴ-
これこそLet it goではないでしょうか。
ふたりのエルサの"Let it go"
対して、アナ雪のエルサはレリゴで悪女になりました。
死後も続く両親の抑圧に耐えきれず能力もバレ、山にこもり扉も心も閉ざします。あれは解放というより自暴自棄…
口パクに合わせて作られた日本語歌詞はすばらしいのですが、あの状況を[ありのまま]と言うかなぁ…無垢や素直という印象の和訳と、エルサの悪魔的表情にギャップを感じます。あのカオで「放っとけ」なら解るけど。
愛に気付き、過去を手放した時が彼女のレリゴーであり、真の解放だと思うのです。
そして聖戦の悪女エルサ。
ちなみに日本語訳はエルザです。でも綴りもElsaだし、劇中もエルサと発音してるので…
彼女は聖杯を手放せずに死にました。
でも、羨ましくも思うのです。
地位も美貌もカラダも知識も使い、敵も味方もあらゆる男も騙しつくす。最期は裏切った男に助けられ縋られてもなお、その欲望に手を伸ばし、死ぬ。
あげく『聖杯の真価が解らぬ女』扱いまでされるエルサ。でも彼女こそ伝説も信仰も神性もロマンも取っ払って、ただただ聖杯を求めたように私は見えます。不死の効能すらスルーして、杯そのものを得ようとした。自分自身を手放すほどに。
悪女だ妄執だ言うのは簡単だけど、そこまで追い求めるものがある人生って羨ましい。
Let it go って難しいね。
ペアグラスは偽杯だったか
そして件のペアグラス。
結婚年が刻印されたそれを出窓に飾って数年。遊びにきた子が割ってしまいレリゴしました。
正直、大事にしなきゃと思いつつ、持て余していたのです。現実とはまるでかけ離れた、寓話のガラスの靴や、伝説の聖杯のような存在で。
幸せ記念日の希望や、甘い新婚の夢の象徴。
負担ながらも飾り続けたのは、憧れに縋ったのか、幸せだと思いたかったのか…
そんな虚像が粉々になって、ホッとしたのを覚えています。
レリゴー婆ちゃんになりたい
物を得るとき、私たちは思いを託しすぎる。これで不死になる、成功する、賢くなる、美しくなる、幸せになる…
物に期待しすぎ、夢を見すぎてしまう。
でも、思いが過ぎれば現実と離れ、いつしか呪縛となる。
夢や希望の代替品にすり替わり、手放せなくなる。
ペアグラスがそうだったように。
Let it goは難しい。
エルザ達は自暴自棄になり、インディも聖杯に固執し死にかけた。私も悪女エルサを羨む始末。
対してインディパパは、夢や希望、信仰や伝説だけではなく、ありのままの現実を見、受け止めたのでしょう。そしてより大切なものの為に、大切だったものを手放した。
( ゚Д゚)カッコイイ
インディパパのLet it goが私の理想です。彼のように、夢も現実も見据える自分になりたい。そして次代のために、微笑みながら大切な何かを手放せたら。
そんなカッコイイ婆ちゃんになりたいなぁと思っています。
ちなみに。
ショーン・コネリーが大好きで、唯一買った写真集も彼でした。初代ボンドとして活躍した彼ですが、多くの名作に出演してもなお、007の呪縛は強かったそう。その殻を破り、新境地を拓いたのがこの役だった、とありました。
インディパパは、コネリー氏にとってもLet it goだったんじゃないかな。
というわけで是非!オススメの映画です!
(しかしエルザの聖杯同様、私のコネリー愛も手放せる気がしない…)
淘汰された100の物たち21~26個目【掃除用具】メンテのメンテがめんどいの
掃除すら億劫なのに、掃除用具のメンテナンスが超めんどい。
しかし物を淘汰し家が整うにつれ、掃除用具も淘汰されてゆきました。
今回の淘汰100(略)は淘汰した掃除用具。ぞうきん、たわし、スチールウールたわし、重曹、セスキ、クエン酸です。
ほうきとぞうきんに憧れて
昔ながらのほうきやチリトリ、酢水などでの床拭きに憧れた時代が私もありました。日々を大切にする暮らしは素敵です。子どもが小さい頃はアレルギーも埃も心配で、頑張っていたけれど。
子ども達も中学生になった今、リビングを這いずり回ることも無くな…ってはおらず、よくゴロゴロしてはいますが、テキトー掃除でも子ども部屋に比べりゃキレイだし。神経質ではなくなりました。
あの頃の必死さをムダとは言わないけど、なんか…一体何だったんだろ(脱力)
ぞうきんのメンテが苦痛なの
筋線維痛症になってから、ぞうきんを絞るのが辛くなりました。
( ゚Д゚)ムリダー
かといって、洗濯機は使いたくない。
ズボランドリーの我が家ではありますが、唯一引っ掛かることがありまして。
なんか勿体ない。
お財布がミニマリストなもんで、数枚のぞうきんのために洗濯機を回すのが勿体ない。ぞうきんを洗った後に洗濯槽を洗うのも勿体ない。
溜めこんでまとめて洗うのは不潔だし、溜め込むほど枚数を持ちたくない。
絞りやすい薄手のタオルを使ったり、ハイター液にブチ込んだりしましたが、それでも薄汚れると捨てたくなる。そういや学校のぞうきんも触るのイヤだったなぁ…
物とともに掃除用具も淘汰された
というわけで、現在我が家の掃除道具はこれらです。
・掃除ワイパー
・食器スポンジ
・トイレブラシ
・バスブラシ
・掃除機(ハンディ)
・ルンバ (追記:故障し手放しました)
ルンバはバッテリー交換で蘇生しましたが、工夫しても我が家では使いこなせませんでした。死蔵するのも申し訳ないのでリサイクルすることに。代わりにコロコロを導入しようか検討中。
あと食器スポンジも代替品を模索中です。減らせたらいいな。
掃除シートが掃除の9割
今では床はもちろん、窓も鏡も家具も、靴も玄関も掃除シートで済ませています。
例えば玄関は「鏡→スリッパ→靴→石畳→ポイ」という感じで、あらゆるものを拭いてしまいます。
リビングも「家具→床→ポイ」
トイレも「取っ手→蛇口→フタ→便器側面→床→ポイ」(便座やフチは別)
築25年の古家だから出来ることですが。
白木の新築や白亜の高級住宅にお住まいの方は、素材や価格に合った掃除をしてくださいね。
メンテのメンテがめんどいの
掃除すら億劫なのに、その掃除用具の掃除やメンテナンスがずっと負担でした。
ルンバやモップのほこり取り、ぞうきん洗い。モップ交換サービスとのやり取りもスチームの内部乾燥も、めんどくさ。蔑ろにもできないから、なおのこと億劫でした。
今は、ほどんど掃除シートで済ませています。
( ゚Д゚)シアワセ
メンテナンスフリー万歳。充電もゴミ取りもパーツ交換も不要。シートを汚して捨てるだけ。
勿体ないとも思うけど、ぞうきん洗いの水やら洗剤やら手間を考えれば十分にお釣りがくる。
私にとって、どんなスマート家電もかなわぬメリットです。
何かで擦ればなんでも落ちる
たわし類は使用後に洗ってもなんか不快で、とうとう使わなくなりました。スチールウールタワシにいたってはシンクに錆び移りするし(使い切りが原則だろうけど)。
丸めたホイルや使ったラップ、いらないコンビニ袋とかで代用するようになりました。たまに買っても使い切り。
そして先日、重曹もセスキもクエン酸も淘汰しました。
年々脳ミソもミニマムになり、酸性だのアルカリだの覚えきれんのです。偉い人にはそれがわからんのです。
小学校で使ってたクレンザーで充分です。大理石とかNGですが、我が家にそんなのありません。小学生のときと同じく、元気に擦りゃ良いのです。
( ゚Д゚)ゲンキデスカー!
何かで擦れば汚れは落ちる。クレンザーで大体落ちる。95円でほとんど落ちる。
頭が軽くなったら、体も軽くなりました。
楽してきれいになりたいの
掃除を億劫にするからこびりつく。
だから洗剤もどんどん増えるし、掃除の正しい手法や化学が必要になるんじゃないのかな。
なので、ひたすら億劫にしないようにしています。ぞうきんを掃除シートに替えてメンテの手間を省き、物を減らすと自然と置き場所も決まりました。
すると「とりあえず片す」「とりあえず拭く」が出来るように。
とりあえず掃除ができると洗剤も掃除時間も減り、掃除用具も減り、おのずと掃除用具の掃除も減りました。
物の多さは家事のバグ。
物を減らすと、家事が最適化されてゆく様です。
余談ですがこれ多分、ミニマリストがシンプルスキンケアに至る道と似てるかも。
淘汰された100の物たち20個目【自己啓発】他人の思想に依存せず、みずから「動き、続ける」ことが自立かも
結婚後、掃除での自己啓発は地獄でした。
MP削られ状態異常になった揚げ句に「私はゴミ箱じゃねぇ!」とブチ切れ、バーサク状態で捨てまくって断捨離は終了しました…
( ゚Д゚)ナンダソリャ
というわけで今回の淘汰100 は「自己啓発」を手放した話。他人の思想に依存しなくなった点で自立かなと思い、お題にも投稿させていただきました。
成功哲学は一応の感動を得たが
成功哲学=カンフル剤
若い頃に買った成功哲学教材は、2割も手を付けずに手放しました。でも一応、感動も得ましたよ。
妙にテンション上がって諦めていた海外にひとり突撃、夜に着いて即就寝。目覚めてカーテンを開けたときの景色といったら!
濃密な木々と原色の花々、翡翠色のラグーンとトパーズ色の家々、はるか彼方にターコイズブルーの海が広がって朝日にキラキラ輝いて…
( ゚∀ ゚)HAHAHAHA
あまりの美しさにベランダで笑い転げました(不審者)。
何度か海外に行ったけど、あの感動は宝物。思い出す度、今だにうっとりします。
カンフル剤は続かない
でも、続かないんだなぁ…
高揚感をくれて感謝はするけど、継続は難しかった。英語の勉強も続かないし、渡航もお金が(教材で散財して)続かないし、そもそも教材が続かない。
学んだのは「ワタシャ大金積もうが続かねぇ」という自覚のみ。
そもそも、あの感動は教材の賜物かと言われると…行動の賜物だよね。
結局、行動と継続がキモなのです。だからメンターが付いたりセミナーをしたり、高額にして元を取んなきゃ!って思わせるのです。でも私は続かない。
そこで気付けは良かったのに、懲りない私は掃除教に入信します。
掃除での啓発は心身を病んだ
掃除教はオンナの地獄
結婚して妊娠同居、正直いうと汚宅でした。必要にかられての掃除は頑張れどキリがなく、産後も続く断捨離行。育児だけでなく介護看護を抱え、苦痛でしかありません。
その頃は、掃除啓発ブーム。
「謙虚であればわかってくれる」「家族に期待しない」「キレイで幸せ」「願いを引き寄せる」「床を磨いて心磨き」「トイレの神様」「子どもの片付けは母親のしつけ次第」…
嫁として母親としてちゃんとしなきゃ!
でもいつまで続くんだろ…
いやいや、そんなこと思っちゃダメだ!
罪悪感が自己否定を育て、掃除教を否定することすら罪悪感にかられます。
「嫁失格」「母親失格」…徐々に心身が壊れてゆきました。
結局ブームだったんじゃ?
掃除は家事の一端、生活の一部なのに、なぜこうも崇められるのだろう。
醒めた今では、バブルがはじけて社会的成功や高額教材に期待出来なくなった結果かな、なんて思います。
人脈や心の豊かさが重視される現代。世間のニーズが低コストの掃除にシフトしたのかもしれません。あと朝活とかコミュ力とか、そんなやつ。
とくに掃除は宗教でも大切と説かれます。「一掃除二信心」「清貧」などの宗教思想ともリンクして、実に自己啓発と相性が良い。
さらに女性独特の「家事=手間=愛情」の概念も、掃除教に愛という肉付けをします。掃除で家族や子どもを育み、自分を高め幸せになれるかのように…
素晴らしきブラフ。
掃除啓発は、時代が起こしたブームじゃないのかな。幸せになる(かもしれない)手段の1つでしかないのだけれど。
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自己啓発の沼で溺れかけた結果
自己啓発ってコワイ
巷の自己啓発は、成功や幸せを得るにはまず実践という。
確かにそうだけど…もしハマれば実践が目的となり、同志と集団となる安心感を幸福と感じ、成功者の経験を我が人生のごとく錯覚するのかも。
なによりコワイのは、否定しにくいこと。言ってることは立派だし。
掃除教は特にエグかった。
否定することは女性として人として、妻・嫁そして母親としても失格の烙印を押される様で、本当に苦しかった。
結局、「私はゴミ箱じゃねぇ!」と逆ギレして吹っ切ったのですが。
( ゚Д゚)シルカボケェェェ
逆にその後は片づけが進み、子どもの不始末は子どもが始末すべきと一線を引けました。嫁云々・しつけ云々は程々に、「掃除は掃除」と思えています。
大体、職場で自分だけ「お茶汲みで謙虚」「机拭きで心磨き」「部下の業績はおまえ次第」と言われたら(社畜かよ!)って思うでしょ?家庭だってそうですよ。
要は「動け、続けろ」
本来の成長って、みずから目標を決め、行動し継続すること、かな。
でも、動くのも億劫だし、適正な目標設定や成功体験の積み重ねが無いと、継続も難しい。
その点、片付けは成功が目に見えるから行動しやすいし、日々の掃除は継続を習慣づける良いトレーニングとなります。自分を律して行動し継続する手段として、掃除は有効でしょう。
MPにダメージを受けずに済むなら、ですが。
だから掃除で自己啓発するなら、MP耐性の装備が必要かもしれません。理論武装や強い意志、揺らがぬ愛情とかスルーする胆力とか。MPも自己肯定感も低い私は、あっという間に状態異常になりました。
守破離したのだ…と恰好つけたいけど、しょせん後付け。実態はバーサク状態で断捨離本もろとも断捨離しただけ。
成功体験なんて、後から何とでも言えるもんですな。
自己啓発からの自立
私が掃除に教えられたのは「動け、続けろ」というシンプルな意志を持つことでした(あの地獄は二度と御免だが)。
そして哲学でいう不幸とは「欲望>能力」。(前記事参照)。
掃除で行動と継続を学び、管理能力が上がって「欲望<能力」となれば、不幸からの脱出は成功かもしれません。
でも欲望はすぐに膨らむ。その成功は一瞬です。
だから掃除啓発は「感謝」で現状に満足させたり「修行」で欲望を抑えようとするワケで。
そこらへんが自己啓発の限界かもしれません。成功に導かなければならないのだから。
成果よりも継続そのもの、成長すること自体に喜びを見出した時こそ、人は真の幸せを得るのだろうな、と今は実感しています。
走るのが嬉しい、肌ケアが楽しい、そんな風に掃除も思えた時こそ「掃除で幸せ」と言えるんじゃないのかな。
結婚して15年、紆余曲折あったけど。
物を減らし続け、身の回りを整えつづける暮らしに喜びを感じる今、もしかしたら私は幸せの一端に触れているのかもしれないな、と思っています。
【掃除は修行じゃなく欲望だった件↓】
淘汰された100の物たち19個目【期待の消化】掃除で幸せになる本当の理由とは?
私は掃除の「修行・感謝」的な宗教ぽさやスピリチュアル感が大嫌いです。でも掃除で平穏を得たのもまた事実。
長らく疑問でしたが、その答えを意外なところから得て腑に落ちました。結論から言うと、期待=欲望=不幸の根源。そして私は、掃除で期待を少し消化できた模様です。
というわけで今回の淘汰100(略)は、物ではなく【期待】について検証します。
掃除教が大嫌い
修行とか心磨きとかお役目とか、感謝の心とか掃除で幸せとか…大嫌い。
だってさぁ、偽善ぽくて偉そうで説教じみてて、道徳っぽいくせして結局は家庭で自己犠牲を強いられるのが目に見えて…
もぅマヂ無理。。。
クイックルしょ。。。
でも今は、結果を出すアプローチの1つと認識しています。不幸の本質を哲学が明快にしてくれたから。
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図書館で何となく借りた本に解がありました。
こんな[何となく]って時、本の女神は私に微笑んでいるのです。
(掃除教が嫌と言いつつ本の女神は信じてる)
哲学で明快となる「不幸の本質」
お若いながら哲学者で大学准教授の筆者。波乱万丈な半生をネタに哲学の魅力を綴った異色の哲学エッセイです。まずは文中のルソーの言を。
欲望と能力とのあいだの不均衡のうちにこそ、わたしたちの不幸がある 。
筆者は解説します。
不幸の「本質」、それは欲望と能力のギャップにある。ルソーはそう言うのだ(場合によっては、これを欲望と環境のギャップと言い換えてもいいだろう)。
これは、言われてみれば当たり前の、でもやはり優れた「本質」洞察だと僕は思う。
そして不幸が欲望と能力の乖離として、そこから脱するには。
一つは、能力を上げること。二つ目は欲望を下げること。そして三つ目は~中略~
欲望を変えることである。
( ゚Д゚)oh
不幸=欲望>能力(&環境)
幸せ=能力アップor欲望ダウンor欲望チェンジ
これは本質や…「円周=直径×円周率」や「ドミソは和音」の様に明快。
そして掃除教の観念が理解できました。欲望のハードルを下げていたのです。
掃除片づけで幸せの本質は
掃除は掃除。
なのに修行とか宗教ぽかったり、感謝とかスピリチュアルだったり、指向性の定まらない自己啓発ジャンルと化しています。
でもその実態は、欲望のレベルを下げるために修行系は欲望を制御させ、感謝系は現状に満足するよう促しているのではないでしょうか。
欲望が減らないうちは修行や感謝が足りないと感じ、物が減りキレイになれば、能力(&環境)が上がったと感じ幸せを得ることができます。
さらに私のこれまでのテーマである期待(=欲望)も説明がつきます。以前、私はこう書きました。
期待する相手を「人→時間」にスライドすることで、自分の考えや感情が穏やかになっていきました。
これは欲望のシフト(ずらし)です。
掃除片付けも終了し能力アップの伸びしろがない現在、キャリアなど他の能力を即上げることが難しい私の手近なリソースは時間だけなのですから。
これが「掃除で幸せ」の本質ではないでしょうか。
…
( ゚Д゚)アイタタタ
無味無臭。だから多分本質。
アイタタとなりつつ、妙に納得しているのです。
「期待しない」の副作用は「期待」
持論ですが「期待しない」の副作用も「期待」です。
女性の自己啓発や断捨離界隈でよく言われる「(家族に)期待しない」。この言葉に善悪は無いとしても、使いかたで言霊は変わります。
口にすれば相手を拒絶し拒絶され、頭で唱えれば「期待」のみが無意識にこびりつき、より欲望を膨らませる悪循環。
まるで頭痛薬の副作用で起こる頭痛です。期待しないと念じ過ぎれば、いずれ渇望となり自分を蝕みます。
『期待しちゃダメだ』と念じて背負いこんで、心の奥底で渇望しつつ『自分が至らないから…』とメソメソ掃除したら不幸だね。私はこの掃除教のドツボにハマりました。
「期待する」だけでなく「期待しない」も手放さなくては。
「期待しない」と念じ過ぎてはいけません。それは渇望を呼ぶだけで、決して幸せになりません(当社比)。
掃除は肌のお手入れのように
なので、肌のお手入れの様に考えてみませんか。
潤いをもたらすように、トラブルが消えるように、日々少しづつ、たまにたっぷりと。
「肌ケアで女優に!」と信じる人は少ないだろうに「掃除で幸せに!」と信じたいのは何でかな…
多分、私たちは肌に過剰な期待をしません。
日々荒れ日焼けし老化して、女優のように大金も掛けられない。でも習慣や身だしなみ、多少の憧れを胸にケアをする。まぁ気持ちもいいし。
掃除も同じじゃないのかな。
日々汚れ散らかり劣化して、大金かけてのリフォームも難しい。でも習慣や身だしなみ、多少の憧れを胸に掃除しませんか。期待は程々にして。
私は掃除で安寧を得たけれど、万能ではないことも知りました。反面、3.14の先に無限の数字がある様に、和音が無数の音楽となるように、掃除の彼方に大きな力があることも知りました。
続ける先に何かあるなら。
習慣と身だしなみ、ほのかな憧れを胸に、肌ケアのように日々掃除できたらいいな。
期待を消化して地に足がついた今、そう思えるようになりました。
…たまにめんどいけどね。