淘汰された100の物たち19個目【期待の消化】掃除で幸せになる本当の理由とは?
私は掃除の「修行・感謝」的な宗教ぽさやスピリチュアル感が大嫌いです。でも掃除で平穏を得たのもまた事実。
長らく疑問でしたが、その答えを意外なところから得て腑に落ちました。結論から言うと、期待=欲望=不幸の根源。そして私は、掃除で期待を少し消化できた模様です。
というわけで今回の淘汰100(略)は、物ではなく【期待】について検証します。
掃除教が大嫌い
修行とか心磨きとかお役目とか、感謝の心とか掃除で幸せとか…大嫌い。
だってさぁ、偽善ぽくて偉そうで説教じみてて、道徳っぽいくせして結局は家庭で自己犠牲を強いられるのが目に見えて…
もぅマヂ無理。。。
クイックルしょ。。。
でも今は、結果を出すアプローチの1つと認識しています。不幸の本質を哲学が明快にしてくれたから。
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図書館で何となく借りた本に解がありました。
こんな[何となく]って時、本の女神は私に微笑んでいるのです。
(掃除教が嫌と言いつつ本の女神は信じてる)
哲学で明快となる「不幸の本質」
お若いながら哲学者で大学准教授の筆者。波乱万丈な半生をネタに哲学の魅力を綴った異色の哲学エッセイです。まずは文中のルソーの言を。
欲望と能力とのあいだの不均衡のうちにこそ、わたしたちの不幸がある 。
筆者は解説します。
不幸の「本質」、それは欲望と能力のギャップにある。ルソーはそう言うのだ(場合によっては、これを欲望と環境のギャップと言い換えてもいいだろう)。
これは、言われてみれば当たり前の、でもやはり優れた「本質」洞察だと僕は思う。
そして不幸が欲望と能力の乖離として、そこから脱するには。
一つは、能力を上げること。二つ目は欲望を下げること。そして三つ目は~中略~
欲望を変えることである。
( ゚Д゚)oh
不幸=欲望>能力(&環境)
幸せ=能力アップor欲望ダウンor欲望チェンジ
これは本質や…「円周=直径×円周率」や「ドミソは和音」の様に明快。
そして掃除教の観念が理解できました。欲望のハードルを下げていたのです。
掃除片づけで幸せの本質は
掃除は掃除。
なのに修行とか宗教ぽかったり、感謝とかスピリチュアルだったり、指向性の定まらない自己啓発ジャンルと化しています。
でもその実態は、欲望のレベルを下げるために修行系は欲望を制御させ、感謝系は現状に満足するよう促しているのではないでしょうか。
欲望が減らないうちは修行や感謝が足りないと感じ、物が減りキレイになれば、能力(&環境)が上がったと感じ幸せを得ることができます。
さらに私のこれまでのテーマである期待(=欲望)も説明がつきます。以前、私はこう書きました。
期待する相手を「人→時間」にスライドすることで、自分の考えや感情が穏やかになっていきました。
これは欲望のシフト(ずらし)です。
掃除片付けも終了し能力アップの伸びしろがない現在、キャリアなど他の能力を即上げることが難しい私の手近なリソースは時間だけなのですから。
これが「掃除で幸せ」の本質ではないでしょうか。
…
( ゚Д゚)アイタタタ
無味無臭。だから多分本質。
アイタタとなりつつ、妙に納得しているのです。
「期待しない」の副作用は「期待」
持論ですが「期待しない」の副作用も「期待」です。
女性の自己啓発や断捨離界隈でよく言われる「(家族に)期待しない」。この言葉に善悪は無いとしても、使いかたで言霊は変わります。
口にすれば相手を拒絶し拒絶され、頭で唱えれば「期待」のみが無意識にこびりつき、より欲望を膨らませる悪循環。
まるで頭痛薬の副作用で起こる頭痛です。期待しないと念じ過ぎれば、いずれ渇望となり自分を蝕みます。
『期待しちゃダメだ』と念じて背負いこんで、心の奥底で渇望しつつ『自分が至らないから…』とメソメソ掃除したら不幸だね。私はこの掃除教のドツボにハマりました。
「期待する」だけでなく「期待しない」も手放さなくては。
「期待しない」と念じ過ぎてはいけません。それは渇望を呼ぶだけで、決して幸せになりません(当社比)。
掃除は肌のお手入れのように
なので、肌のお手入れの様に考えてみませんか。
潤いをもたらすように、トラブルが消えるように、日々少しづつ、たまにたっぷりと。
「肌ケアで女優に!」と信じる人は少ないだろうに「掃除で幸せに!」と信じたいのは何でかな…
多分、私たちは肌に過剰な期待をしません。
日々荒れ日焼けし老化して、女優のように大金も掛けられない。でも習慣や身だしなみ、多少の憧れを胸にケアをする。まぁ気持ちもいいし。
掃除も同じじゃないのかな。
日々汚れ散らかり劣化して、大金かけてのリフォームも難しい。でも習慣や身だしなみ、多少の憧れを胸に掃除しませんか。期待は程々にして。
私は掃除で安寧を得たけれど、万能ではないことも知りました。反面、3.14の先に無限の数字がある様に、和音が無数の音楽となるように、掃除の彼方に大きな力があることも知りました。
続ける先に何かあるなら。
習慣と身だしなみ、ほのかな憧れを胸に、肌ケアのように日々掃除できたらいいな。
期待を消化して地に足がついた今、そう思えるようになりました。
…たまにめんどいけどね。