淘汰された100の物たち20個目【自己啓発】他人の思想に依存せず、みずから「動き、続ける」ことが自立かも
結婚後、掃除での自己啓発は地獄でした。
MP削られ状態異常になった揚げ句に「私はゴミ箱じゃねぇ!」とブチ切れ、バーサク状態で捨てまくって断捨離は終了しました…
( ゚Д゚)ナンダソリャ
というわけで今回の淘汰100 は「自己啓発」を手放した話。他人の思想に依存しなくなった点で自立かなと思い、お題にも投稿させていただきました。
成功哲学は一応の感動を得たが
成功哲学=カンフル剤
若い頃に買った成功哲学教材は、2割も手を付けずに手放しました。でも一応、感動も得ましたよ。
妙にテンション上がって諦めていた海外にひとり突撃、夜に着いて即就寝。目覚めてカーテンを開けたときの景色といったら!
濃密な木々と原色の花々、翡翠色のラグーンとトパーズ色の家々、はるか彼方にターコイズブルーの海が広がって朝日にキラキラ輝いて…
( ゚∀ ゚)HAHAHAHA
あまりの美しさにベランダで笑い転げました(不審者)。
何度か海外に行ったけど、あの感動は宝物。思い出す度、今だにうっとりします。
カンフル剤は続かない
でも、続かないんだなぁ…
高揚感をくれて感謝はするけど、継続は難しかった。英語の勉強も続かないし、渡航もお金が(教材で散財して)続かないし、そもそも教材が続かない。
学んだのは「ワタシャ大金積もうが続かねぇ」という自覚のみ。
そもそも、あの感動は教材の賜物かと言われると…行動の賜物だよね。
結局、行動と継続がキモなのです。だからメンターが付いたりセミナーをしたり、高額にして元を取んなきゃ!って思わせるのです。でも私は続かない。
そこで気付けは良かったのに、懲りない私は掃除教に入信します。
掃除での啓発は心身を病んだ
掃除教はオンナの地獄
結婚して妊娠同居、正直いうと汚宅でした。必要にかられての掃除は頑張れどキリがなく、産後も続く断捨離行。育児だけでなく介護看護を抱え、苦痛でしかありません。
その頃は、掃除啓発ブーム。
「謙虚であればわかってくれる」「家族に期待しない」「キレイで幸せ」「願いを引き寄せる」「床を磨いて心磨き」「トイレの神様」「子どもの片付けは母親のしつけ次第」…
嫁として母親としてちゃんとしなきゃ!
でもいつまで続くんだろ…
いやいや、そんなこと思っちゃダメだ!
罪悪感が自己否定を育て、掃除教を否定することすら罪悪感にかられます。
「嫁失格」「母親失格」…徐々に心身が壊れてゆきました。
結局ブームだったんじゃ?
掃除は家事の一端、生活の一部なのに、なぜこうも崇められるのだろう。
醒めた今では、バブルがはじけて社会的成功や高額教材に期待出来なくなった結果かな、なんて思います。
人脈や心の豊かさが重視される現代。世間のニーズが低コストの掃除にシフトしたのかもしれません。あと朝活とかコミュ力とか、そんなやつ。
とくに掃除は宗教でも大切と説かれます。「一掃除二信心」「清貧」などの宗教思想ともリンクして、実に自己啓発と相性が良い。
さらに女性独特の「家事=手間=愛情」の概念も、掃除教に愛という肉付けをします。掃除で家族や子どもを育み、自分を高め幸せになれるかのように…
素晴らしきブラフ。
掃除啓発は、時代が起こしたブームじゃないのかな。幸せになる(かもしれない)手段の1つでしかないのだけれど。
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自己啓発ってコワイ
巷の自己啓発は、成功や幸せを得るにはまず実践という。
確かにそうだけど…もしハマれば実践が目的となり、同志と集団となる安心感を幸福と感じ、成功者の経験を我が人生のごとく錯覚するのかも。
なによりコワイのは、否定しにくいこと。言ってることは立派だし。
掃除教は特にエグかった。
否定することは女性として人として、妻・嫁そして母親としても失格の烙印を押される様で、本当に苦しかった。
結局、「私はゴミ箱じゃねぇ!」と逆ギレして吹っ切ったのですが。
( ゚Д゚)シルカボケェェェ
逆にその後は片づけが進み、子どもの不始末は子どもが始末すべきと一線を引けました。嫁云々・しつけ云々は程々に、「掃除は掃除」と思えています。
大体、職場で自分だけ「お茶汲みで謙虚」「机拭きで心磨き」「部下の業績はおまえ次第」と言われたら(社畜かよ!)って思うでしょ?家庭だってそうですよ。
要は「動け、続けろ」
本来の成長って、みずから目標を決め、行動し継続すること、かな。
でも、動くのも億劫だし、適正な目標設定や成功体験の積み重ねが無いと、継続も難しい。
その点、片付けは成功が目に見えるから行動しやすいし、日々の掃除は継続を習慣づける良いトレーニングとなります。自分を律して行動し継続する手段として、掃除は有効でしょう。
MPにダメージを受けずに済むなら、ですが。
だから掃除で自己啓発するなら、MP耐性の装備が必要かもしれません。理論武装や強い意志、揺らがぬ愛情とかスルーする胆力とか。MPも自己肯定感も低い私は、あっという間に状態異常になりました。
守破離したのだ…と恰好つけたいけど、しょせん後付け。実態はバーサク状態で断捨離本もろとも断捨離しただけ。
成功体験なんて、後から何とでも言えるもんですな。
自己啓発からの自立
私が掃除に教えられたのは「動け、続けろ」というシンプルな意志を持つことでした(あの地獄は二度と御免だが)。
そして哲学でいう不幸とは「欲望>能力」。(前記事参照)。
掃除で行動と継続を学び、管理能力が上がって「欲望<能力」となれば、不幸からの脱出は成功かもしれません。
でも欲望はすぐに膨らむ。その成功は一瞬です。
だから掃除啓発は「感謝」で現状に満足させたり「修行」で欲望を抑えようとするワケで。
そこらへんが自己啓発の限界かもしれません。成功に導かなければならないのだから。
成果よりも継続そのもの、成長すること自体に喜びを見出した時こそ、人は真の幸せを得るのだろうな、と今は実感しています。
走るのが嬉しい、肌ケアが楽しい、そんな風に掃除も思えた時こそ「掃除で幸せ」と言えるんじゃないのかな。
結婚して15年、紆余曲折あったけど。
物を減らし続け、身の回りを整えつづける暮らしに喜びを感じる今、もしかしたら私は幸せの一端に触れているのかもしれないな、と思っています。
【掃除は修行じゃなく欲望だった件↓】