わたしが10年かけて捨てたものは「期待する」ことと「期待しない」ことでした。
この記事の続きです。
「期待しない」という言葉のウラには
「解ってほしい」という期待がありました。
真剣にモノを捨て、身の回りを整え
自分の心を整理して、今思うこと。
「期待しない」とか「期待する」とか
相手はイヤだよね、ってこと。
何度言っても通じないし、
期待しない方がラクだわ、
って気持ちは同感だけど、
自分がされたら嫌だしな、とも思う。
家族でも、いや、家族だからこそ、
真意を伝える言葉選びが必要だった。
そして言葉だけじゃなく、態度も。
真剣な感謝。挨拶に笑顔。甘える努力。
そしてたまのビジネストーク。
あざといとか空しいとか、言ってないでさ。
大人として社会人として、普通に必要事項。
揉めずに意思疎通できれば、イイじゃない。
穏やかに暮らせれば、イイじゃない。
「期待しない」をこじらせて
ダークサイドの果てまで行って。
10年かけてたどり着いたのは、
ホント当たり前のことでした。
めんどいのキライとか言いながら、
自分がめんどい奴だったという話。