KAJILESS

家事をレスに。

罪悪感や畏れをかかえながら、モノをへらした今、想うこと。

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モノを減らすのは、しんどい。

モノを減らすことについては
素晴らしい点ばかりが
クローズアップされている様で
違和感を感じます。

モノを捨てるのは、
とてもしんどいものです。

私は結婚後、同居となりました。
そこはモノであふれており
掃除を始めました。

生まれてくる子のために
清潔で安全な家にしなければ。
ただそれだけで、
ミニマリストや断捨離などの
理念はありませんでした。

 

しかしその後、
数年経って東日本大震災が。

 

震災と断捨離の間で考え続けた数年間。

それでもなお、
その後もお人形をはじめ、
多くのモノを供養しました。
罪悪感を感じながら。

kajiless.hatenablog.com 
家のモノを減らさなければ
子ども達の命が危なかったのも
また事実なのです。
モノを減らすことは
減災に実に効果的です。
kajiless.hatenablog.com

震災で
全てを無くした方も多い中、
それでもモノを減らす罪悪感。
そして減災の必要性。
目の前に広がる
町だったはずの瓦礫。
未曾有の暴力的な力で
粉々に、泥だらけになった
モノたちの末路。
モノを減らす行為について
考えないわけにはいきませんでした。

ハッキリと言ってしまえば
(家族に何かあったらどうしよう)
(捨ててバチがあたったらどうしよう)
という畏れがありました。

 

落ち着いた今、想うこと。モノは健気に待ち続ける。仕返しなんてしない。

モノは健気です。
与えられた場所で待ち続ける。
床の上、物の下、物置の奥。
朽ちても、忘れ去られても。

モノは仕返ししません。
埃をかぶり、押し潰され、
どんな仕打ちを受けようとも。

私たちが、身勝手な罪悪感から
畏れ、忌避しているというのに…

ロクに使われもせず
埃まみれで放置され、
あげく(呪われそう)と畏れられる。

そして納戸の奥、暗闇へと
押し込まれ、朽ち果てるまで。
ただ在り続ける。

そして忘れ果て、
子どもに譲る体でなすりつける。

 

これが日本が誇る
「もったいない」の現実。

 

モノを減らしつくした今、
想うこと。

モノの最期を決めるのは、
私たちなのではないでしょうか。

自分が最期を迎える前に。

モノはただ、
そこに在り続けるのだから。