KAJILESS

家事をレスに。

15年かけて「期待」を捨て、ラクになりました。

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「期待しない」という言葉はしんどい。

掃除・片付けの中でよく出てくる
「(夫に、子に)期待しない」
という言葉。

そう念じて暮らしてきたけど
かえってしんどくて。
そもそも、冷たく感じて
あまり好きではなかった。

その反面、私自身が
家族に期待しすぎていたのもまた事実。
15年かけて片を付けて、
やっと気がついたのでした。

 

『期待しない』は「許容」ではなく「拒絶」

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「期待しない」の本質は

依存するな。
自分の正義を押し付けるな。
勝手に期待して勝手に裏切られる、
そんな独り相撲をするな。
だと思う。

だけど。

だって、もし
両親に「君には期待しない」
上司に「君には期待しない」
主人に「君には期待しない」

と言われたら、わたしは傷つきます。

その本心が
(私の老後は心配するな)とか
(仕事はチームワークだ)とか
(給料は俺が稼ぐからね)とか
だったとしても。

本心は許容であれ何であれ、
言葉にしたとたん、拒絶になる。
曲解しか与えかねない、難しい言葉。

口にすると拒絶になる。
あまり使うべき言葉ではないと
今になって思います。

 

 

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現実、相手も自分も、頑なになる。

期待しないーと念じることで、
私はかえって辛くなりました。

1,全ての事象が自己責任に。

結局、依存されてしまうし、
なにより自分に暗示がかかります。
マジメな人ほど特に。

2,助けてもらえない。

相手は
「期待ハズレだと傷つけられた」
という大義名分ができるので、
もう助けてくれません。
もちろん、口に出して
言ったわけではないけど、
やはり伝わりますからね~

 

さらに科学的効果も。

期待しないーと思いすぎたわたしは、
解放されるどころか、
不満という名の期待ばかり溜まりました。

いま思えば当然だよなと思います。
よく脳科学とかで言うじゃないですか。

「レモンを想像しないでください」
というと唾が出るというアレ。

否定しない子育て理論や
スポーツのコーチングで利用されるアレ。

潜在意識は
否定文を認識できないー

 

脳は「期待しない」も
「期待」として認識する。

そうして10年以上、
私は期待を刷り込み続け、
自分も家族も頑なにしてしまったのです。

 

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私自身を期待しない方がラクになった。

同居して、
年々悪化する義母のうつに
私自身もおかしくなりました。
いくら話し合っても平行線。

そこで第三者を入れたら、
あっという間に夫が動きました。
まぁホント空しかったけど、
実際、
私自身も「妻」という立場に甘えて
建設的な会話ができなくなって
いたのでしょうね。

ビジネスでも、
商談の決め手は
大方が正論や熱意などより
相手の顔を立てるか数字じゃない?
中小企業なら、なおさら。

そんなシビアな世界で働いている男性に
妻の「立場」も「正論」も「熱意」も
通じまい、とも思うのです。

当初は恨みつらみが
そりゃもうひどかったけど、
掃除・片付けを続けて、
だいぶ冷静に振り返ることが
できるようになりました。

夫婦の甘えを捨てると
問題提起の姿勢が変わり、
夫婦関係も変わりました。

根回しする。
感情は入れない。
具体的に話す。
短文で話す。
数字を出す。
共感は不要。
結論を何案か出す。
妥協点を探る。

つまり
フツーに仕事上の会話をする。

ビジネスライクで
冷たい感じがするけど、
日常会話やグチとは
アプローチを変えるべき。

日常のフワフワした会話では
夫も理解できず苦しんだと思います。

結婚して10年もしないと
気付かない私もアホですが。

 

「期待する」と「期待しない」を捨てる

期待をすべて
捨てきれたワケじゃないけど
(そこまで聖人にゃなれん)

拘りやしがらみからは
ずいぶん解放されたと思います。
考え方のクセが直った、
という言い方が正しいかも。

「期待しない」とか
「期待する」とか
相手はイヤだよね。 

何度言っても通じないし、
期待しない方がラクだわ、
って気持ちは同感だけど、
自分がされたら嫌だしな、とも思う。

家族でも、
いや家族だからこそ、
真意を伝える言葉選びが必要だった。

言葉だけじゃなく、態度も。
真剣な感謝。挨拶に笑顔。甘える努力。
そしてたまのビジネストーク。

あざといとか空しいとか、言ってないでさ。
大人として社会人として、普通に必要事項。

揉めずに意思疎通できれば、イイじゃない。
穏やかに暮らせれば、それでイイじゃない。

 

 

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私は何に縛られていたんだろう。

たぶん、
本音で解りあえるとか
全力でぶつかることが
夫婦や家族の在り方だと
期待しすぎていたのかも。

今思えば
「んな訳ないじゃん」
としか思えないんだけどさ。

めんどいしんどい言っといて、
自分が一番めんどい奴だった
話でした。

 

追伸ー

有難いことにコメントを頂きました。
返信して改めて気がついたのですが、
必要なのは「健康的な期待」ですよね。

それをきっと【希望】と言うのでしょう。